日本再発見〜「武士の娘」を読みました。

                杉本鉞子   大岩美代 訳    筑摩叢書


 あれ?と思うのではなかろうか。

 日本人の名前が著者なのに、訳者がいる。

 そう、実はこの本は英語で書かれたものであり、それを和訳したものである。

 杉本鉞子(エツコ)さんは、長岡藩(現在の新潟県)の家老の家に生まれ育っているが、結婚相手が渡米したため、アメリカで家庭を持った。二人の娘さんもできたが、ご主人が亡くなられたため帰国、この本の最後でまた渡米しているので、おそらく、この後はアメリカにお住まいになったことと思われる。

 それにしても、虫は日本に生まれ、日本に長年住んでいるが、この本の中の「日本」が珍しい。ホントに。

 たしかに時代は違う。著者の頃は、明治の初期、戊辰戦争の余波がまだ覚めやらぬころである。新潟県・・・少なくとも長岡藩は、幕府方だったので、「負け」組であり、著者のお父さんが人質になった話なども書いてある。その人質も、なんか風流な印象だが。

 そしてもちろん、地方も違う。新潟は豪雪地帯だが、アメリカで雪が降るとホームシックになったことなどが書いてある。東京の女学校時代に、なまりを直すのに「メモ」を活用したなどという逸話は、今でも新潟出身の人、広く言えば、地方出身でなまりを直した人には身近な話だろう。虫は関東近辺で生まれ育ったので、なまりでは全く苦労していない。
 
 新潟県は、山も多く、アクセスが困難なところであったところから、身分の高い罪びと等が流された土地なのだそうである。「罪びと」には現在でいう思想犯が含まれている。つまり、革新的な思想を持った人が多く配流(はいる)の憂き目にあい、その結果、新潟で教えを説いたところから、新潟の仏教は非常に信仰厚い優れた教えを得ることができたのである。エツ子さんが幼い頃、信仰の厚い地元の女性たちが、その長い髪の毛を切り、お寺の縄を奉納する場面が印象的である。

 そういった点では、奇しくも、エツ子さんが後の生涯を過ごしたアメリカと似ている。新潟県「京」(おそらく、京都)に対して辺境の地であったため、こういった宗教改革者が流されたのと同様に、アメリカもイギリスに対して辺境の地であったために清教徒が行き着いた土地である。

 だからといって、これほど異なるものなのか・・・軽いカルチャーショックを受ける。特に印象に残った点を挙げてみる。

天然パーマ

 このエツ子さん、くせっ毛だった。

 パーマ代がかからなくていいな〜と虫は思うが、けっこう今でも、気にしている人はいるらしい。

 しかし、この時代ははっきり、いやがられていた。

 髪の毛のくせなおしの際、召使のいしに口答えをした著者が、お母さんに呼び出されて叱られる。

「エツや、縮れ毛がけものの毛に似てるということはおわかりでしょうね。武士の娘がけものに似ていてよいのでしょうか」と。

 ・・・けものの毛って縮れてるか?というのが率直な感想である。羊などのごく一部を除けば、ほとんど直毛ではないか?それとも、オール天然パーマと思われる鬼のことだろうか・・・?

 もっとも、この時点でお母さんが本当に叱りたかったのは、いしに口答えをしたという点かと思われ、それは正しいとは思われるが。

 著者はその後も、ストレートパーマもないこの時代に、髪をまっすぐにするため、毎日大変な思いをする。毎日髪の毛をひっぱって伸ばし、昔風のまげを結っていたのである。

 アメリカでいい点は、縮れ毛が恥にならないところだと書いている。

拍手

 もう一つ、「え?」と思ったのがこれである。

 日本にもアメリカと同じく芝居はあるが・・と「能」が例として挙げられているのだが、その芝居が終わった後も、客席ですすり泣きが漏れるようなすばらしいものであったとしても、客は「拍手」などはしない。

 演じた役者は深々と頭を下げ、観客は沈黙のうちに芝居の余韻にひたる・・・と書いてある。

 「拍手」というのは、明治以降に映画なんかと一緒に輸入された文化だったのか!

 今となっては、真偽の確認のしようがないが、虫はありそうな話だと思う。それに、日本の観客ってなんとなく拍手が下手な気がする。

 アメリカやイタリアなどの映像を見ると、芝居などが非常に優れていた場合、ごく自然な感じで観客が立って、役者に敬意を表すスタンディング・オベーションや、最終の演目だった場合のアンコール、「ブラヴォー!」などの声かけがあるが、どれもとっても自然である。

 しかしながら、日本で同様のことが起こる場合、他の観客の様子を見ながら・・・とか、芝居やオペラやコンサート、ライブなどでは、同様の海外での反応を知っている人がリードしている・・・といったちょっと不自然な印象があるからだ。特に、コンサートで、曲が終わるとすぐに拍手をはじめる人がいるが、これは礼儀に反していると思う。まるで曲が終わるのを待っていたみたいではないか!一拍程度、間を置くのが、礼儀だろう。

 まだまだ、根付いていないということである。ある意味納得できた。


  ◇    ◇      ◇

 幼いころに、召使の「いし」や「たき」からそしてじいやから聞いた話も面白い。また、召使たちとえつ子さんのお父さんのお話も、敬意は感じられるが、それが冷たい感じではなく、和気藹々な雰囲気で楽しそうである。
 出入の若い衆の五郎さんが、旦那様(つまりエツ子さんのお父さん)との掛け合いの様子を話したあたりも楽しい。五郎さん、お父さんを持ち上げるつもりで、狂歌の前半をひねった。
 「この家を七福神が取り巻いて」
 即座に返したエツコさんのお父さん、なかなかにユーモアのセンスがある。武士にユーモアのセンスがあるなんてどんな資料にも載っていなかったけど。
 「貧乏神の逃げどころなし」

 新潟が豪雪地帯であることは、先ほど述べたが(こればかりは仕方がない)、お城の雪合戦の話がとても美しく、印象に残っている。

 大雪が降ると、日頃は真面目そうな城勤めのお侍さんたち、そして、日頃は大奥にこもっている女衆もそれぞれ、ぞうりなどを脱ぎ捨て(雪が汚れるので)長い華やかな着物をからげて雪合戦に興じるというのである。雪に華やかないろの着物のすそがたなびき、豪華なかんざしが、しゃりしゃり鳴って、それは美しい光景だったそうである。これは見たかった!

 エツコさんが白い牛の生まれ変わりだった話(これは、エツコさんの娘さんに、エツコさんのお姉さまがしてあげる話である)、戊辰戦争中のお父様の話、幼いエツコさんが、読書家のおばあさまから聞いた歴史や英雄の話など、こういった話だけでも、この本は面白いと思う。
 おばあさまといえば、この本の中で特に印象的なのは、世代を超えた女性の結びつきが描かれている点である。エツコさん自身、この読書家のおばあさんの話に非常に印象を受けたと思われる。なお、生まれ変わり信仰のため、「飼い犬」に分を超えた親切をして怒られたことなどが載っており、「生まれ変わり」を真面目に信じていたのだなぁと感慨深い。「江戸」のおばあさまという別の方が、エツコさんにすてきなプレゼントを送ってくれる話も印象的である。なんでもこの方はお父様の実母だということである。後の話になるが、エツコさんの下の娘さんの千代さんが、エツコさんのお母さんと仲良くなる様子もほほえましい。


 ◇   ◇    ◇

 最後に「運命の力」を感じさせるこの話で終わりにしたいと思う。

 なお、この「日本」を再発見させてくれる「武士の娘」を最初に読んだのは、小学生か中学生のころだったと思う。これのちょっと前に読んだ「大草原の小さな家」とその続編も夢中になって読んだが、これはその日本版という感じである。どちらも、女性の自伝的な要素があり、その時代の風俗を生き生きと描いている名作である。何度読んでもいいものだ!

(十月のことを神無し月といい、神々は各地のお社から出雲の大社に神つどいに集(つど)われて、縁組する男女の名前をお決めになる定めであった)
 (昔・・・)両親も兄弟もいない不幸な若者が、誰もお嫁さんの世話をしてくれないので、二十歳すぎても独り身でいました。
 十月のある日、この若者は出雲の大社へ参拝して、自分にも縁組の相手があるのか知りたいものだと思いたちました。そこで、お供えとして初穂の一束をたずさえて、長い旅にのぼりました。やがて神社にぬかずき、高い床下に陣取っておりますと神々の声が「あの男」「この娘」「あの男」「この娘」と数でも数えるように呼び合っていられるのが聞こえました。その中には自分の知っている若者の名前もまじって、次々ときこえて参りました。
「やれやれ、俺はまあ、神様のご相談のお邪魔をしていたか」と呟(つぶや)きましたが、興をそそられて退くことができず、思わず柱のかげに身をよせて、悪いこととは知りながらも一縷(いちる)の望みをかけて聞き入っておりました。
「あの男」「この娘」と次々と男女の名は組み合わされてゆきますのに、どうしたことか、自分の名はいつまでたっても出て参りませんでした。
 最後に威厳ある声が「では、今年はこれまでと致そう」とのたまわせられるのでした。
すると、「暫時(しばし)お待ちあれ。太郎がまたのこりました。だれか娘はないものでしょうか。」という声が致しました。
 若者は自分の名前が出たので、ハッと致しました。
 「ああ厄介だな!また、その名がでおった!」
と、いらいらして言う神様がありました。
 「もう、一年のばすといたそう。外に娘がありません」と遠くの方から声がきこえました。
最初の神様の声で「お待ち下されい。栗の木村の名主の家で、近頃女の子が生まれました。家柄は少々かけ離れていますが、この二人をめあわすことにいたしましょう。さすれば仕事も片付くというもので」と申されました。
「左様左様、名前を組み合わせておいて、めいめい社へ急ぐことといたそう」と神々は口をそろえて申しました。
「これを以って今年の仕事も終わり申した」とまたも厳かな声が聞こえました。

 一部始終をもれきいた若者は興奮したり、怒ったり、失望したりしてそこをはい出しました。
 とぼとぼと家路をたどりながら、太郎の胸には失望と憤怒がつのるばかりでございましたが、栗の木村に近づいて干稲をかけつらねた稲架の間に、ちらちらみえる名主の家の豪勢なわらぶき屋根を眺めますと、怒りはうすらぐのでした。そして「まあまあこれならさして悪いこともなかろう」と独り言をいってみたりしました。あけひろげた入口の前までそろそろと参りますと蒲団にくるまった赤ん坊がかわいい手を出しているのがみえました。
 「どう少なくみても、十二三年は待たなきゃなるまい!かなわないな。ええ、神様にたてついてみてやれ!」と叫んだかと思うと、家の内にかけ込み、若者は床の間にあった一刀に手をかけ、素早く蒲団の上から赤ん坊をつきさし、あともみずに、急いで帰りました。

 年月が流れすぎました。幸運に恵まれた太郎は栄えましたが、どうしても花嫁を世話してくれる人はありませんでした。そのうち、また幾年か経ちました。若者は神様におそむき申し上げた罰として、ひとり暮らしのあじきなさをも耐えしのび、ついにあきらめきった心持になっておりました。

 その頃、思いがけないことが起こりました。お仲人がとても美しい、真面目な働き者の花嫁の世話をしようといって訪ねてまいりました。太郎は躍り上がって喜びました。話し合いは順調に運んで、花嫁を迎えました。この若い妻は非の打ちどころもない,願い通りの人で、太郎もすっかり満足していました。
 ある暑い日、縁側で縫い物をしていた妻は衿元(えりもと)をゆるめていましたが、太郎はふとその頸(くび)に奇妙な傷痕(きずあと)を見つけました。「どうした傷か」と尋ねました。
「これには不思議な物語があるのでございます」とにこにこしながら妻は言葉を続けて「私が赤ん坊の頃のことでございます。火のつくような泣き声を聞きつけて祖母がかけつけますと、父の刀が畳の上に投げ出してあり、私のくびから肩にかけて刀傷がついておりました。傍(そば)にだれもいなかったものですからどうしてこんなことになったのか判りませんでした。祖母は神様が何かのお計らいでこんな傷をなされたのだと申しておりましたが、大方そんな事でしたろうと思っております」というと、また針の手を動かし始めました。
 思いに沈んだ太郎は、そっとその場をはずしました。太郎は再びあの赤ん坊の顔と、小さい手を思い浮かべながら、神様のご命令にそむくことの恐ろしさをしみじみと味わったのでございます。

 いしはこの話の終わりに、いつもこう申しました。
「ですからね、神様のお定めなされたことはおうけするものでございますよ」


 そうだ・・・。運命には逆らえないけど、立ち向かうことならできると思う。