やったぁ、勝ったぜ!・・・で?〜「チャーリー・ウィルソンズ・ウォー」(下)を読みました。

                ジョージ・クライル   真崎義博 訳  早川書房



  ヴェトナム戦争をご存知だろうか。

 本来はヴェトナムの内戦だったが、アメリカは1965年(北爆開始)に参戦して以来、煮え湯を飲まされ、散々な目にあったあげく、敗退した。これはゲリラ戦が本式の軍隊に勝った戦争でもある。

 チャーリー・ウィルソンのスローガンはこうだ。

 「アフガンをソ連のヴェトナムにしてやる」

 ソ連(現ロシア)への気持ちがわかるだろうか。だいっ嫌いなのである。チャーリー・ウィルソンは自由の闘士である。そこは、チャーチルと同様だ。

 他にチャーリーが嫌いなのはインド。実質的にソ連の保護下にあるくせに中立みたいな顔をしている。それは言えているかも。
 ということは、インドと対立しているパキスタンに近づき、訪問する。驚いたことにチャーリーはパキスタンが気に入った。イスラム教のために女性に近づけない点は除いて。次回から、自前のアメリカ人女性を連れて行くことを忘れなければどうということはない。
 アフガンの戦いを直接支援していたのはパキスタンであり、チャーリーは彼らの頼みで支援額の増額を始めたのだ。
 
 他にソ連を嫌いな国といえば・・・中国!共産圏同士だが、本当に仲が悪い。中国は決して認めようとしないだろうが、なんと、CIAがくどいて、中国もアフガン支援に一役かっているのだという。

 そしてサウジもこの支援に一役買っている。

 
 チャーリー・ウィルソンはあの手この手でアフガン支援の予算を増やす。日本でも3月になると、予算の使い切りのため、特に必要でもなさそうな工事をして高速を渋滞におとしいれることは周知の事実である。アメリカの役所でも同様で、年度末近くに多大な現金があると役所の連中は真っ青になる。下手をうつと来年度の予算が削減されかねないからだ。アメリカでは、なぜか、どこでいくらあまっているのかを知っているアヤシゲな人々がいる。チャーリーはそういった連中とわたりをつけて、ガスト・アヴラコトスに電話する。

「三億ドル、使いきれるかい?」

もちろんである。

 このアメリカが表に立たないチャーリーの「戦争」をはじめたのはチャーリー・ウィルソン。実際に様々なCIAの指揮をとったのは、アヴラコトス、いわば将軍である。

 しかし、この「戦争」を勝利に導いた、いわば参謀役は、アヴラコトスの部下、ヴィッカーズであった。
 
 それまでのCIAのアフガンへの援助はお粗末きわまりなかった。敵は最新のハイテクを利用し、ヘリから機銃掃射をしかけるソ連兵だというのに、古めかしいエンフィールド銃しか支給せず、しかも、弾が足りなかった。

 グリーンベレー出身の猛者だというのに地味な印象を与えるヴィッカーズは、ゲリラ戦を徹底的に勉強し、ヘリを打ち落とせるミサイルをはじめ、練りにねった武器の組み合わせを支給した。

 その使い方も、アメリカ人がパキスタン人に教え、パキスタン人がアフガン人に教えた。軍隊の訓練もした。

 それまで、勇敢に戦ってはいたが、旧式の武器で戦う烏合の衆に過ぎなかったアフガンのムジャヒディンは、近代兵器を備えたゲリラ戦のプロになっていった。

 ヴィッカーズの作戦が全て図に当たり、勝利へと導いたのである。

 彼は中途で去ったが、すでに勝利への作戦は確固たるものであり、後は時間の問題だった。

 ウィルソンの盟友、アヴラコトスもCIA内の抗争に負けて左遷され、チャーリーだけが残った。

 ソ連の撤退という喜びの日に、CIAもアフガン人もこれを祝い、チャーリー・ウィルソンを讃えた。皆誰の功績かわかっているのだ。

この日の「神は偉大なり」(アッラーアクバール)はじんときた。そう神は偉大だ。アフガン人の祈りに答えて、チャーリー・ウィルソンというテキサスの夢想家をおつかわしになったのだ。


 ところで、このチャーリーの戦争であるアフガン支援と当時の出来事との関係が書いてある。

イラン・コントラ事件との関係

 イラン・コントラ事件で虫が印象に残っているのは、舌鋒鋭く追及する、当時の野党、民主党の議員と罪を認めてうなだれるノース大佐などのCIA局員の映像だった。なんとなく、民主党(当然ながらアメリカの)とCIAって犬猿の仲なんだな、と思っていた。

 まさか、一部のいかれた民主党議員(←もちろんチャーリー・ウィルソンのこと)とはみだしCIAが手を組んで戦争をおっぱじめているとは思わなかった。

 チャーリーの戦争は、こっちの事件に世間の注目が集まってるのをいいことに、まったくチェックを受けずに巨額の予算を通過させたのである。つまり、かくれみのとして使ったのだ。

 ちなみに、この作者の意見としては、イランはイスラエルの浸透を受けており(ムッラー、つまり、イスラム教の神父みたいなひとの半分はイスラエルに買収されているそうだ)、CIAはイスラエルにはめられたということらしい。ま、そういう可能性もある。


パキスタンの核開発

 こちらは、チャーリーの戦争の後半に密接にかかわる。アフガン支援はパキスタンを通じて行われたものだった。チャーリーとパキスタンのジア大統領は、友人である。

 しかし、核開発をしていたのは、少なくともCIAには知られていたようだし、核保有宣言をすれば、アメリカとしては国交を断絶せざるをえない。

 当然支援もできない。この件で攻め立てたのは他のリベラルの民主党議員であった。

 チャーリーは委員会内で息詰まる政治的攻防を展開し、どういうわけか勝って支援を継続できた。これは未だに謎である。


 しかも、どうもアフガン支援と引き換えに、アメリカは核保有について黙認するという密約をかわしたらしい。

 これはちょっとなー。まずいな。


ソ連の崩壊

 アフガンからの撤退が、ソ連の崩壊をもたらしたと言い切ることはできない。が、かなりのダメージをあたえたことは確かだろう。

 アフガンに「公式には」参戦していなかったため、アフガンでの戦死した兵士は勲章も与えられず、息子をなくした母親にはそういった慰めも与えられなかった。これが国民の不満を招いた。

 これとチェルノブイリかな。これも最悪のタイミングだったから。


 
 チャーチルの戦争(第二次大戦のこと)はドイツと日本にたいする勝利をもたらしたが、その方便として組んだソ連という敵を生んだ。他方で、チャーリー・ウィルソンの戦争はそのソ連に対しての実質的勝利をもたらしたが、その方便として組んだパキスタンとアラブ世界から9・11などのテロリストという敵を利する結果にもなった。チャーリーが、「もっとミサイルを!」の声に応じてアフガンに運び込んだ武器はアフガンの内戦に使われたからである。

 戦争というのは思わぬ副産物を生むものだ。