あるユダヤ人の逃避行〜「ナチスになったユダヤ人」を読みました。

          マイケル・スケイキン◎著  小澤静枝◎訳        DHC



 よく知られているように、1941年12月8日の日曜日に、日本軍は真珠湾攻撃を行った。

 しかしその日は、ポーランド白ロシアのノヴォグルデクに住むユダヤ人にとっては忘れられないものとなった。
(現在、この都市はベラルーシにあり、ノヴァフルダクと呼ばれている)

 最初のユダヤ人虐殺が行われたからである。

 大きな墓穴を掘り、ユダヤ人たちをそのキワまで行進させて、一斉掃射する風景は、これ以降も何回も続くことになるから、その風景を思い浮かべても、もう何も感じない。

 しかし、労働力になる若い者を選別するという噂が流れ、日頃は化粧なんか全くしない、素朴なユダヤのおばあさんたち、マッツア(パンの一種、ノヴォグルデクはこれで有名だった)などのユダヤ料理を作らせたら、右に出るものがいないおばあさんたちが、ドイツ兵たちに、少しでも若く見せようと、化粧品や代わりになるものを借りて、必死にアイライナーや頬紅を塗り、お化粧をする姿を思い浮かべると、なぜか涙がとまらなくなるのである。

結局、この日、「選別」により生き残った、たったの8人を除き、ノヴォグルデクに住みんでいた数千人のユダヤ人は殺されたのであった。ノヴォグルデクは、ユダヤ教徒のなかでもとりわけ敬虔なムッサール運動(人を正しい行いに導く禁欲主義的な敬虔主義運動)の中心となっていたのだが。

 その生き残りの中に著者の父親、ヨゼフ・スケイキンがいた。ラビを志す学生だったヨゼフ・スケイキンは、何とか、家族を救おうと母親とおばとおじ(父親は既に亡くなっていた)を隠そうとした・・・が捕まってしまう。
 結局、母親とおばはこの大虐殺の犠牲になった。「今日は最後の審判の日。みんな許しあいましょう」といい、祈りの言葉をとなえつつ・・・
「聞け、イスラエルよ。主は我らの神、主は唯一なり」

 
 人を・・・同じ人間を、ただ生まれたというだけで、ユダヤの家系に生まれたというだけで、残らず抹殺しようとしてるなどと聞いても、最初は否認する。そんなバカな。そんなひどいことがまかりとおるわけがない。

 この時虐殺されたユダヤ系の人々のほとんどがそんな気持ちだったろう。

 また、この話を聞いた人もそうだろう。

 しかし、そうなのだ。

 考える以上に人間は残酷に、愚かになりうるものなのである。

 この虐殺から逃れるため、生きのびるためには何でもしなければならない。

 ユダヤ教は、イスラム教と同じく(共通点はこれだけではないが)、食べてはいけないものが厳しい戒律で定められていて、断食をする日などもある。ラビ(ユダヤ教の指導者)は、ゲットーに閉じ込められて強制労働を強いられ、ろくな食べ物を与えられないユダヤ人たちに対し、今は非常時だから戒律を破ってもよい(さもないと栄養失調で死ぬから)と教え、自ら断食日にパンを食べてみせたという。

 この本は、ヨゼフ・スケイキンが、ナチスによるユダヤ人の大量虐殺を何とかして生きのびた記録である。

 その生き残り計画には、「リトアニア人」としてSSに志願し、合格までしたことも含まれる。

 もっとも志願したのは、終戦間近な1944年のことである。実際にSSとしての活動は何もしなかったようである。
 ドイツ人らしく潔癖なナチスは、志願者にすっぱばかになって、シラミの検査を受けることを志願者に何度も強制した。
 これが恐ろしい。なぜって・・・

 ご存知かもしれないが、ユダヤ人男性は、小さい頃に「割礼」を受ける。詳しくは知らないが、男性器の一部(皮の部分らしい)を切り取るものらしい。すっぱだかでは隠し様がない。
 もし、ユダヤ人とバレれば、即、強制収容所行きである。実際、祖父がユダヤ人であることがわかり(ナチは八分の一の血を引いてるものまでユダヤ人とした)SSから、囚人に転落した男が出てくる。
 幸い、健康診断を受けたのが、女医さんなので、そういったことに詳しくなかった。。。のと、シラミ検査の際はそんなにじーっと見られなかったのか、無事通過する・・・。

 冒頭のユダヤ人虐殺から、戦後まで(ナチスは日本より一足早く1944年ごろに終わっている)とにかく、生きのびたい一心で、ポーランドからリトアニアに、そしてリトアニアから、ベルリンに、人の出生証明書をもらったり農夫のふりをしたりしながら生きのびた。

 ユダヤ人社会しか知らなかったヨゼフは、リトアニアカソリックイスラム教徒であるタタール人を観察し、彼らの行動を真似て、教義を学ぶ。

 以前も書いたと思うが、ユダヤ教からキリスト教が生まれているので、一神教であることも含め、色々と似ている。ユダヤ教キリスト教イスラム教と生まれているし、マホメットは最初、ユダヤ教の一派として宗教を起こそうとしたほどなのだそうである。(ユダヤ教側に断られてしまうのだが)ヨゼフは教義や習慣を学びながら、イスラム教とユダヤ教って似ているなと思う。豚肉を食べない点などがすぐ思いつくが、断食や、お祈りの習慣なども似てるそうである。キリスト教をはさんで、祖父母と孫みたいな関係なのだが、だからこそそうなのかもしれない。

 ユダヤ人の言葉であるイディッシュ語はドイツ語と似ているので、ユダヤ人はだいたいドイツ語がわかる。

 無学なポーランド人農夫の真似を完璧にしようとしたヨゼフはわざとドイツ語がわからないふりをする。けっこう芸が細かい。命がかかっているから無理もないが・・・。

 リトアニアからベルリンに行ったのは、知り合いのポーランド人の名前をかたっていたところ、ポーランド人労働者として、ドイツに強制労働(@農場)に行かされたからである。日本でも工場などで働かされた、強制徴用というヤツである。

 ベルリンにつくと、いきなりゲシュタポに呼び出される・・・・。行かないわけにもいかない。

「なんか御用ですか?」と行くと、「きみってリトアニア人?」ときた。

こうなったらなんでもいい。やっぱりSS本部は怖い。

「そうですが・・・」

「じゃあ、きみはポーランド人じゃなくて、リトアニア人だよ!あはは!」という用件だった。

ポーランド人とリトアニア人。どこが違うのかといえば、リトアニア人は、(ナチの基準では)純アーリア人種なので、ポーランド人より一つ上ということなのだ。。なんとSSにも入れる。(あ、SSってナチ親衛隊、ヒットラーが最後まで頼りにしていた部隊である)最低はユダヤ人なのだが。

 ほっとしながら、強制徴用先の農場に帰る。ここで、実はもう一つの難関にぶちあたる。

 女性である。

 やたらといちゃいちゃしたがる、けばい感じのウクライナ娘、タチヤナは、ラビになる勉強をしていたヨゼフ、純朴なユダヤ娘しか知らない者にはまるで異星人である。全く惹かれなかったが、男として女性に無関心すぎると逆に注意を引いてしまうので、しかたなく付き合う。
ある日、彼女は言う。あたし本当はタチヤナじゃないの・・・タイナ・グレツカヤよ。
もしかして、彼女もユダヤ人?と思い、もう少しで、自分がユダヤ人だとコクりそうになる・・・。
 言わなくて良かった!次の日ドイツ人将校といちゃいちゃしている彼女を発見する。

 虫、思うに、グレツカヤというのは父称であって、ユダヤ人ではあるまい。タイナよりタチヤナのほうが、かっこいいから、変えていただけだろう。

 とにかく、無事、終戦を迎えたヨゼフは、逆にナチではないかとソ連軍に疑われる。

その審問の際、審問官の1人がユダヤ人と見たヨゼフは、ユダヤ教の祈りの言葉を朗々と暗誦して、自分がユダヤ人であることを示す。それを聞いていた審問官はうっすら涙を浮かべる。もちろん、無罪放免である。

 ヨゼフがその後にアメリカに行き、息子マイケルに語った戦争体験談が本書である。

 有名なラビの言葉やタルムードや旧約聖書が時折引用されていて、深みをそえている。