隣の大統領〜「私のスイス案内」を読みました。
笹本駿二 著 岩波新書
日頃通勤につかっている電車に乗ったところ、ふと、向こうにいる人品卑しからぬ中年男性。
なんだか見覚えがある。
あれ?内閣総理大臣の鳩山さんではないか。
見つめていると向こうから挨拶をしてきて(「こんにちは」)、おいしいラーメンの話で盛り上がっちゃったらどうだろう。
あるいはそれが、天皇陛下で、雑草の話で盛り上がっちゃったら?
アナタはきっと職場や家庭でその話で持ちきりだろう。
なぜって日本では、そんなことないからだ。すくなくとも滅多にない。
ところがこういったことがあるのが、スイスという国だ。
著者は、市電でスイスの公使館に通勤していた。そこで乗るときに人品卑しからぬ老紳士にお先にどうぞと順番をゆずられた。そこは日本人、(ま、この世代はまだ)老人を尊ぶ国民性である。「いえいえ、そちらがお先に」と譲り返した。
その老人、市電に乗ると、「皆さん、おはよう」と挨拶した。
市電にいた全員からかえってきたのが、「おはようございます、大統領」
ええー!著者はびっくり、ま、まさか現役の大統領ではないだろう。上に日本の内閣総理大臣と天皇陛下をあげておいたが、大統領といえば国家元首、国を代表するという意味では、日本のこの二人に匹敵する。
びっくりする著者をよそに大統領はまわりの人と話しこんでいる。そして、「皆さん、良い一日を」と言って降りていった。
公使館につくと、法律顧問のスイス人に今朝の出来事を伝え、確認した。まさか現役の大統領じゃないよね?
「あ〜、現大統領ですね。あなたのお住まいのところの近所に住んでいるんですよ」
・・・普通の家に住んでいる?そして市電で通っている?
素晴らしい。
まさに、スイスがどんな国かを教えてくれる場面ですね。(とその人に言われた)
確かに。
この違いはナンだろう。考えてみた。
【政治の違い】
この大統領、任期が一年しかない。
これは腐敗する時間がない。
政治学について、昔少々かじったことがあるが、一番印象的な一節(たしか一行目)はこうである。
「権力は腐敗する。絶対的権力は絶対的に腐敗する。」
これは真理だと思う。
時の権力者に対して疑いの目を持ち、その乱用が目に余る場合はひきずりおろす気概。これが大切なんじゃないだろうか。これこそが民主主義の真髄ではなかろうか。
その手段が選挙である。(他にも、革命などがある)
日本では、間接民主制を採用しているため、一般国民が持っているのは、選挙権のみである。つまり、その仕事(議員・大臣など)につけるかどうかの決定に関与できるだけである。任免権と言い換えてもいいだろう。
実はスイスは世界でもユニークな直接民主制に近いシステムを採用している。
(↓ 直接民主制について詳しく知りたい向きはこちらのエントリをご参照いただきたい。)
http://d.hatena.ne.jp/victoria-3rd/20090127
スイスの成年男性(1971年以降は成年女性も)が有するのは、選挙権だけではない。法律・憲法に関する議案を票決する権利、イニシアティヴ・レファレンダムという二つの主要な権利を有しており、連邦憲法上も定められている。
選挙権が立法の仕事につくかどうかの任免権にかかわることだとすれば、個別の立法や憲法改正という仕事もできるというのが票決する権利。イニシアティヴは、「じゃあこういう法律をつくれば?、憲法改正をすれば?」と提案できるのがイニシアティヴ。提案権だ。ちなみに、地方自治のレベルでは日本にもある。ちょっと、実際に行使するのはスイスより大変そうだが・・・。レファレンダムは国民投票や住民投票といわれるものだ。日本でも原発など特定の案件について、みんなで投票してその賛否を決めることがある。あれ。
日本では地方レベルではよく行われている。よくでもないか、時々・・・。いや、あったような気が・・。
【共同体意識】
スイスの基礎はコミューンとカントンにある。コミューンが町や村、カントンが州にあたる。
スイス人は必ずどこかの、コミューンに属し、コミューンは必ずとこかのカントンにある。そして州民だけがスイス国民になるのだから、コミューンに属することはスイス国民である要件である。
だからスイス国民になれるかどうかは、コミューンがその一員として認めるかどうかによる。
この狭い地域の一員であるという意識は、日常生活の隅々に行き渡っている。そして、誰であってもその一員であるという意味で対等であり、見知らぬ同士でも挨拶をするのがならいだという。
だから大統領と市電に乗り合わせた人達も挨拶したのだ。
これはお互いに助け合うという意味でもある。商店主が、足の不自由なお客さんのために、荷物を届けてあげ、著者はその間お店に来たお客さんに「5分待ってください」というように頼まれたという。
日本は残念ながら、少なくとも都会は、もっとギスギスしているように思う。
【国民皆兵】
永世中立というと、「平和」な国というイメージがある。
しかし、スイスが長らく平和を保ってきたのは、20歳から50歳までの男性全員に課せられた兵役義務と発達した金融のお陰だ。
永世中立というのは、「攻撃されたら、相手が誰であろうと反撃するぞ!思い知らせてやるからな!」と周りを取り巻く強い国、ドイツとかフランスとか、にいう事。そしてその裏づけとなる軍事力を持っていることである。国民はすべて軍事訓練を受ける兵隊である。年齢で決められた訓練を受ける。といっても合わせて一年ぐらいだが。なお、女性は志願兵だそうである。
スイスの銀行といえば、信頼できることで有名で、世界各国の金融資産を預かっている。どんなケンカっぱやい国でも自分の金蔵(かねぐら)を攻撃しない。困るから・・・。同じ意味でテロにも強そうだ。
国民皆兵というのは、市民の権利には銃を持つ義務を伴うということでもある。だからこそ、女性には長い間選挙権などの参政権が与えられなかった。
スイスと日本は、実は似ている面も多いと思う。どちらも山が多い。ま、スイスの方が高いようだが、山地の人は生活が不便なだけに独立心が高い。こういった独立心といか気概は、どちらにもあるように思う。
また、どちらも、資源に乏しい。山だらけなのにも通じるだろうか、スイスは土地がやせている。日本にしても、いろいろ工夫はしているが、もともと土地ないし・・・。
そのためだろうか、技術力が高い。スイスの時計といえば有名である。もっとも最近は日本のSEIKOなどに抜かされているようだ。もともと、ちょっと、どちらもヲタクっぽいのではなかろうか。
とすると、スイスの行き方、参考にしてみてはどうだろうか。虫としては、共同体意識が素晴らしいと思う。
伝説の人物〜「レッド・ダイアモンド・チェイス」をよみました。
家族や親戚の間で、何かと話題にされる人物というのは、いないだろうか。
何かすると(何もしなくても)なにかと比較対象され、説教のタネにされる。
例えば・・・
「何々はお前の年では、もう(何かすごいこと)をやっていたんだぞ。それにひきかえお前は・・・(以下説教略)」
これは優等生タイプ。他にもこんなパターンもある。
「ナニガシ大学に受かったのか、おめでとう。何々は(もっと優秀な大学)だったけどな。」
逆に劣等生タイプだと、何か悪いことをすると出てくる。
「お前悪さばっかりしていると、何々みたいになるぞ!」
タバコを吸っているのが見つかると、
「何々もタバコを吸い出したのが、悪に転落する第一歩だったんだ」
こういう伝説の人物が。
関係ないけど、虫にもいる。優等生タイプだ。
東大法学部をでて外交官って・・・勝てる気しない。競争してないが。おじなのだがその子どもも3人全員東大て、すごすぎるがな。
でも何かと話は聞く。
さて、それはともかく、主人公、ダグ・ピアスにいるのが、劣等生タイプでやはりおじさんだ。
主人公がタバコを吸ったり(ちなみに上のタバコに関するものは、小説からいただいた),万引きが見つかったり、ケンカをしたり・・、ま、青少年がよくやる悪さをするたびに、そのおじさんに関するエピソードが増えるという単純な法則があった。
良くも悪くも、よく噂される人間というのは魅力があるからだと思う。このおじさんは既に亡くなっており、直接は姿をあらわさないが、魅力的な悪党だ。
ダグはポッツヴィルというアメリカの、ど田舎のビール工場で働く青年で、その工場もクビになった。
アメリカでも田舎は田舎で、半径50m以内に住み、変わり映えのしない、将来も見通せるような生活。
クビになったダグはソファに陣取って、テレビリモコンでチャンネルを変える日々。
そこに舞い込んだ、おじの元ガールフレンドからの依頼。
おじはシンガポールで殺されたといい、その殺人には関与していたダイアモンドの盗難がからんでいるという。
シンガポールに飛び、当時の知り合いに話を聞いて事件の真相を突き止めて欲しい。
こうして、無職の青年に無料の海外旅行が進呈される。わくわくどきどき保証付。
いや、すごい。ある登場人物の言葉を借りよう。
「面白くないって?このひと月で地球を半周して4カ国を回り(シンガポール、モロッコ、エジプトなど)、遺産相続人の女と寝(アイーシャというモハンマドの最年少の妻と同じ名前のモロッコ女性。アメリカの大学を出ていて、アメリカ人とあまりかわらない)つけまわされ、飛び降り、撃たれ、ブタ箱にぶちこまれ(エジプトのカイロに行く時に何者かにはめられて、バッグに白い粉が!)、カーチェイスをやり、それもすげえ衝突付きだ。・・・それからラグビートーナメントで決勝トライを決め(今までラグビーなんかやったことなかったのだが、飲みの席で不用意に「あ、テレビで見た事ある〜やってみたかったんだよね」と不注意発言をしたところ、たまたまメンバーが足りないラグビーチームで・・・)、おまけにチアリーダーたちとヤって(ヤッてない)」
これらのうち、いくつかは本物の事件、他は真犯人のかく乱作戦である。
そう、最後にきちんと謎解きもするし、冒険や、ユーモアはなかなか上等。けっこうなお手前でした。
そうだ。ダイアモンドも見つかる。
そうそう、虫の伝説的な人物であるおじさんも会ったことがない。最近は中学の国語の教科書に文章が載ったときいて立ち読みしたときに、初めて顔写真を見た。もう1人のおじ(その人の弟)にそっくりだった。
イメージが崩れそうで、今さら会う気がしない・・・。
超「かっこいい」小説〜「身元不明者89号」を読みました。
さっき調べたが、エルモア・レナードはこのブログでは初紹介のようだ。
いや〜、面白いのに、このブログはじまってからは、読んでないか、読んでも紹介しなかったのか〜。申し訳ない。
虫が思うに、小説の形容として「かっこいい」がぴったりなのは、エルモア・レナードだけである。どんな風に「かっこいい」かを言うのは簡単である。タランティーノの映画を観た事ある?あれくらいかっこいい。
実際、タランティーノはE・レナードに傾倒している。彼の映画のちょい悪(ワル)な犯罪者である主人公たちは、E・レナードの小説の主人公に似ている。
意外にもE・レナードの原作の映画化が実現したのは1作だけ、「ジャッキー・ブラウン」である。虫も観たが、あの映画はかっこ良かった。パム・グリアかっけ〜。原作も前読んだ。
さて、今回の小説の主人公のジャック・C・ライアンは令状配達人。この職業の選び方もE・レナードらしい。この人の小説の主人公は、基本的に「ヒーロー」とか「正義の味方」ではない。肩の力を抜いて、自分らしさを貫くところが、逆に「かっこいい」ゆえんだろう。
令状配達人とは訴えられた人に令状を渡す係。他に差押えなどもするようだ。
ライアンは特にすご腕で、人の居場所を突き止めるのが上手い。
そこを見込まれて、人探しの依頼を受ける。
頼んだのは、ミスター・ペレスなるあやしげな人物。本人や相続人が持っていることすら忘れている株券を換金して手数料を稼ぐという。
しかし、探してくれと頼まれたロバート・リアリー・ジュニアなる人物がすごい。何人も人を殺している上に精神病院に出たり入ったりしている。どうやら頭がおかしいということにして、刑を免れたようだ。とうてい、かかわりあいになりたくない人物である。
そのリアリーが殺され、身元不明者89号となる。
この中盤あたりから、ちょっと小説の雰囲気が変わってくる。ジャックは突然酒を飲み始め、AAの集会に行く。AAはアルコール依存症、つまり断酒の会で、皆で輪になって、アルコール依存の話をするやつである。
「私はアル中です」とか。
そこで、一度会った時にベロンベロンに酔っ払っていた故ロバート・リアリー・ジュニアの奥さんに会い、彼女といい感じになる。なお、ロバート・リアリー・ジュニアは黒人だが、彼女は白人である。
さあ、コマがそろった。ミセス・リアリーと今は彼女の味方になって、ミスターペレスの手先をやめたフランク。ミスター・ペレスと彼が別に雇っている殺し屋。
それぞれ何かたくらんでいて、それがどう交錯するのか。
ある意味、ボードゲームかトランプゲームのような面白さだ。これが、エルモア・レナードの真骨頂。
最後の一手まで気が抜けない。
そしてかっこいい。
やったぁ、勝ったぜ!・・・で?〜「チャーリー・ウィルソンズ・ウォー」(下)を読みました。
ジョージ・クライル 真崎義博 訳 早川書房
ヴェトナム戦争をご存知だろうか。
本来はヴェトナムの内戦だったが、アメリカは1965年(北爆開始)に参戦して以来、煮え湯を飲まされ、散々な目にあったあげく、敗退した。これはゲリラ戦が本式の軍隊に勝った戦争でもある。
チャーリー・ウィルソンのスローガンはこうだ。
「アフガンをソ連のヴェトナムにしてやる」
ソ連(現ロシア)への気持ちがわかるだろうか。だいっ嫌いなのである。チャーリー・ウィルソンは自由の闘士である。そこは、チャーチルと同様だ。
他にチャーリーが嫌いなのはインド。実質的にソ連の保護下にあるくせに中立みたいな顔をしている。それは言えているかも。
ということは、インドと対立しているパキスタンに近づき、訪問する。驚いたことにチャーリーはパキスタンが気に入った。イスラム教のために女性に近づけない点は除いて。次回から、自前のアメリカ人女性を連れて行くことを忘れなければどうということはない。
アフガンの戦いを直接支援していたのはパキスタンであり、チャーリーは彼らの頼みで支援額の増額を始めたのだ。
他にソ連を嫌いな国といえば・・・中国!共産圏同士だが、本当に仲が悪い。中国は決して認めようとしないだろうが、なんと、CIAがくどいて、中国もアフガン支援に一役かっているのだという。
そしてサウジもこの支援に一役買っている。
チャーリー・ウィルソンはあの手この手でアフガン支援の予算を増やす。日本でも3月になると、予算の使い切りのため、特に必要でもなさそうな工事をして高速を渋滞におとしいれることは周知の事実である。アメリカの役所でも同様で、年度末近くに多大な現金があると役所の連中は真っ青になる。下手をうつと来年度の予算が削減されかねないからだ。アメリカでは、なぜか、どこでいくらあまっているのかを知っているアヤシゲな人々がいる。チャーリーはそういった連中とわたりをつけて、ガスト・アヴラコトスに電話する。
「三億ドル、使いきれるかい?」
もちろんである。
このアメリカが表に立たないチャーリーの「戦争」をはじめたのはチャーリー・ウィルソン。実際に様々なCIAの指揮をとったのは、アヴラコトス、いわば将軍である。
しかし、この「戦争」を勝利に導いた、いわば参謀役は、アヴラコトスの部下、ヴィッカーズであった。
それまでのCIAのアフガンへの援助はお粗末きわまりなかった。敵は最新のハイテクを利用し、ヘリから機銃掃射をしかけるソ連兵だというのに、古めかしいエンフィールド銃しか支給せず、しかも、弾が足りなかった。
グリーンベレー出身の猛者だというのに地味な印象を与えるヴィッカーズは、ゲリラ戦を徹底的に勉強し、ヘリを打ち落とせるミサイルをはじめ、練りにねった武器の組み合わせを支給した。
その使い方も、アメリカ人がパキスタン人に教え、パキスタン人がアフガン人に教えた。軍隊の訓練もした。
それまで、勇敢に戦ってはいたが、旧式の武器で戦う烏合の衆に過ぎなかったアフガンのムジャヒディンは、近代兵器を備えたゲリラ戦のプロになっていった。
ヴィッカーズの作戦が全て図に当たり、勝利へと導いたのである。
彼は中途で去ったが、すでに勝利への作戦は確固たるものであり、後は時間の問題だった。
ウィルソンの盟友、アヴラコトスもCIA内の抗争に負けて左遷され、チャーリーだけが残った。
ソ連の撤退という喜びの日に、CIAもアフガン人もこれを祝い、チャーリー・ウィルソンを讃えた。皆誰の功績かわかっているのだ。
この日の「神は偉大なり」(アッラーアクバール)はじんときた。そう神は偉大だ。アフガン人の祈りに答えて、チャーリー・ウィルソンというテキサスの夢想家をおつかわしになったのだ。
ところで、このチャーリーの戦争であるアフガン支援と当時の出来事との関係が書いてある。
イラン・コントラ事件との関係
イラン・コントラ事件で虫が印象に残っているのは、舌鋒鋭く追及する、当時の野党、民主党の議員と罪を認めてうなだれるノース大佐などのCIA局員の映像だった。なんとなく、民主党(当然ながらアメリカの)とCIAって犬猿の仲なんだな、と思っていた。
まさか、一部のいかれた民主党議員(←もちろんチャーリー・ウィルソンのこと)とはみだしCIAが手を組んで戦争をおっぱじめているとは思わなかった。
チャーリーの戦争は、こっちの事件に世間の注目が集まってるのをいいことに、まったくチェックを受けずに巨額の予算を通過させたのである。つまり、かくれみのとして使ったのだ。
ちなみに、この作者の意見としては、イランはイスラエルの浸透を受けており(ムッラー、つまり、イスラム教の神父みたいなひとの半分はイスラエルに買収されているそうだ)、CIAはイスラエルにはめられたということらしい。ま、そういう可能性もある。
パキスタンの核開発
こちらは、チャーリーの戦争の後半に密接にかかわる。アフガン支援はパキスタンを通じて行われたものだった。チャーリーとパキスタンのジア大統領は、友人である。
しかし、核開発をしていたのは、少なくともCIAには知られていたようだし、核保有宣言をすれば、アメリカとしては国交を断絶せざるをえない。
当然支援もできない。この件で攻め立てたのは他のリベラルの民主党議員であった。
チャーリーは委員会内で息詰まる政治的攻防を展開し、どういうわけか勝って支援を継続できた。これは未だに謎である。
しかも、どうもアフガン支援と引き換えに、アメリカは核保有について黙認するという密約をかわしたらしい。
これはちょっとなー。まずいな。
ソ連の崩壊
アフガンからの撤退が、ソ連の崩壊をもたらしたと言い切ることはできない。が、かなりのダメージをあたえたことは確かだろう。
アフガンに「公式には」参戦していなかったため、アフガンでの戦死した兵士は勲章も与えられず、息子をなくした母親にはそういった慰めも与えられなかった。これが国民の不満を招いた。
これとチェルノブイリかな。これも最悪のタイミングだったから。
チャーチルの戦争(第二次大戦のこと)はドイツと日本にたいする勝利をもたらしたが、その方便として組んだソ連という敵を生んだ。他方で、チャーリー・ウィルソンの戦争はそのソ連に対しての実質的勝利をもたらしたが、その方便として組んだパキスタンとアラブ世界から9・11などのテロリストという敵を利する結果にもなった。チャーリーが、「もっとミサイルを!」の声に応じてアフガンに運び込んだ武器はアフガンの内戦に使われたからである。
戦争というのは思わぬ副産物を生むものだ。
政治家に何ができるのか〜「チャーリー・ウィルソンズ・ウォー」(上)を読みました。
ジョージ・クライル 真崎義博 訳 早川書房
これは映画になっている。映画はまだ観ていない。いずれテレビ放映されるまで待とうかなと思う。
実在の人物に関するノンフィクション。
主人公は、チャーリー・ウィルソン。テキサス州選出の下院議員である。5年目。
日本でいうと衆議院議員。5年目ともなると、委員会などの役職がもらえるころである。
このチャーリー・ウィルソン、真面目な議員としての功績より、やんちゃ坊主で名高い。
とりわけ、1980年にラスヴェガスで、起こしたスキャンダル・・・、豪勢なホテルのスウィートルームで、二人のとびきりの美人と夜を過ごし、二人とも「たっぷりコカインを持っていて」(チャーリー談)まさに、退廃のきわみで楽しい夜を過ごし・・・その後、捜査官に追っかけられて眠れない夜を過ごした。
いやはや、記憶に新しい「のりP」事件よりはるかに、ひどい。のりPなんかちょっとハイになってただけじゃんとさえ言いたくなるようなきわめつけの派手な事件である。もちろん、麻薬使用を容認するわけではないが。
酒・コカイン・女に溺れ、毎晩、きれいどころをひきつれては社交界を遊びまわっているのがチャーリー・ウィルソンである。うらやま・・・あ、いや、けしからんのう。
このラスヴェガスでのスキャンダル、いくらなんでも、これはまずいでしょう!これでもう議員生命もお終いか・・・と思いきや、これを生き残るのである。これが、のりPと比べてもすごい。
もちろん、アメリカでもコカインの使用は違法である。
チャーリー・ウィルソンが生きのびたのは、友達がみんなしてかばってくれたからに他ならない。
しかもチャーリーの場合、隠れた家の近くで(もちろん逃げたし)、酔っ払い運転して人にケガまでさせているのである。
隠れ家からひたすら弁護士の助言を仰ぎ、ギリギリセーフ(ひかれた人はお金で黙ってくれた)。
のりPとの差は友達がよかったことだろうか。当初証言しようとしていた運転手も偶然、昔世話した女性の息子だったので、決定的にはならなかった。あるいは弁護士の腕だろうか。単純に、麻薬使用の科学検査が進んでなかったためかもしれない。
ま、それはともかく、「お気楽チャーリー」遊び人チャーリーは、ちょっと誇張されていた。「遊び人」を演じてすきがないあたり、まるで遠山の金さんかあだ討ち前の大石くらのすけである。
彼の中には、かのチャーチルにあこがれる面があったのである。チャーチルをご存知だろうか。イギリスの政治家で、第二次大戦中、ヒットラーを打ち負かした英雄である。この人は虫も好きだ。
アフガニスタンの戦闘映像、その悲惨さが彼のその部分を目覚めさせる。
彼は、戦争をおっぱじめるのだ。
戦争って!!
個人でもできるか〜?
日本の衆議院議員のセンセーが戦争をおっぱじめたら「えらいこっちゃ」である。
これは、こっそり裏戦争をして冷戦を戦っていたアメリカならではの話だ。
まず、手はじめにチャーリー・ウィルソンは、所属委員会でアフガニスタンにこっそり援助する金額を倍にする。
ところが意外とCIAは喜ばないのである。それどころか、よけいなお世話だ、口出してくんな!である。
CIAも日本の官僚とあまり変わりがないようだ。イギリスのMI6にならって、WASPのアイヴィーリーグ出身者で固めてある。(すくなくともこの当時は)国公立のエリートで固める日本の役所そっくりである。
このエリートたちは、議員が口出しをすることを拒否る。説明には来るけど、難しめの言葉でいいくるめようってコンタンがみえみえである。
そこで〜〜、チャーリー・ウィルソンと手を組むのが、はみだしCIAのガスト・アヴラコトスである。上巻はこの二人が手を組むところで終わる。
ガスト・アヴラコトス。名前でわかるようにWASPではない。ついでに説明するとWASPとゆーのは、ホワイト・アングロサクソン・プロテスタントの略で、イギリス系新教徒の白人のことであり、アメリカの支配的なマジョリティである。彼はギリシャ系である。
もともと、マイノリティの出身ということもあるが、どう考えても災いしているのは、彼の反骨精神である。
上司に面と向かって「バカヤロー!」なんて言った日には、CIAに限らずどんな組織でも出世は無理だろう。それぐらいは虫もわかる。いいたい上司はたくさんいるだろうけど・・・。
しかも、2回も・・・・ぜってー無理!
こういった態度をとったのは、「ギリシャ人というのは選ばれた民族だ」ということを心ひそかに信じているからだそうだ・・・。選民思想か。ユダヤ人では聞いたことあるけど、ギリシャ人にもあったのか・・・。
特にガスト・アヴラコトスの母親は、選ばれた民の選ばれたエリートだと息子を洗脳したそうである。まぁ、そうおっしゃるならそういうことにしておこう。自信にはつながりそうである。ちょっと過剰な気もするが。
かように無敵なギリシャ人がWASPごときにヘイコラするわけがない。
ちなみに、この上司の写真をもらい、知り合いのギリシャ人女性(っつーか、魔女)に見せて、呪いをかけてもらったそうである・・・なんでもインポになる呪いだそうで・・・ギリシャ人、怒らせるとこんなことをするのか。
このはみだしCIAとチャーリー・ウィルソンが、手を組んで、戦争をおっぱじめたわけである。
ところで、なんとなくあらすじはわかったが、読んで一番驚いたのは、チャーリー・ウィルソンが民主党に属するということである。
保守的で反共主義者なのだから、てっきり共和党なのかと思った。チャーチルは保守党だし。
アメリカの民主党には、こういう保守派もいるのか。日本の民主党にもいるが・・・。
ただ、チャーリー・ウィルスン、黒人とユダヤ人に非常にひいきされている。
興味深いのは、民主党の議員が反共の戦争をおっぱじめたということかもしれない。レーガンは「悪の帝国」とか、語調は強いけど、実際にはなにもしていなかったようだ。ちなみに、イラン・コントラ事件についても触れてある。
(下)に続く。
ふるさとに帰るネロ・ウルフ〜 「黒い山」を読みました。
レックス・スタウト 宇野輝夫 訳 ハヤカワ・ミステリ
出た〜〜〜!ふっか〜〜〜つ!!未読のネロ・ウルフもの!
しかも、巨デブのネロ・ウルフ、運動するとか言って、ダーツを買ったのに、矢が落ちたのを拾ってもらうのを待っていたあの、ネロ・ウルフが・・・(もちろん、なんでも係のアーチーはひろってやらない。それぐらいはしないと運動にならねーだろ!という趣旨である。)
山に登る・・・?!!!
え〜〜!マジすか。
だって、アパートを一歩も出ないんだったハズ!!だよね。その代わりに、助手のアーチー・グッドウィン手足や目や耳になるのだったはず。
これは読まなくては。
さてさて、黒い山とは、ブラックマウンテンのことだが、それがある国の名前でもある。これの舞台だった時代には、ユーゴスラビアに併合されていたが、現在では独立・・・・してたような気がする。セルビアと一緒だが。
その国の名前はモンテネグロ。この意味は「黒い山」なんだそうである。さきほどググッってみたところ、その通りだった。
ネロ・ウルフはモンテネグロ出身なのだそうである。しかも、カルラという娘がいる!・・・この作品で殺されるが。ウルフとカルラの会話をみても、さほど仲のいい親子ではなさそうである。
この本は、いつもと趣きが違う。ネロ・ウルフの親友、マルコ・ヴクチッチが殺された。ラスターマンというレストランを経営していた彼は、祖国モンテネグロの反政府主義運動に援助をしていた。モンテネグロはこの時は、ユーゴスラヴィアの一部。冷戦時代の鉄のカーテンの向こう側、つまり社会主義の国で、そういった国には旧ソ連の実質的支配も及んでいた。マルコ・ヴクチッチが殺されたのは援助がらみで犯人は、モンテネグロに帰ったらしい。
ネロ・ウルフは犯人を追いかけ、アーチー・グッドウィンを連れて、モンテネグロに密入国することを決意した。
後半はモンテネグロを舞台とした冒険小説である。
ネロ・ウルフも、歩きなれないカラダで、足のマメに悩みながら(なにしろ巨体をささえているのだ)優秀な記憶力で覚えているモンテネグロの地理と7ヶ国語(もちろん、母国語も)を駆使して活躍し、山にも登る。
ただし、リュックは自力でしょえなくて、アーチーの助けを借りるが。
アーチーが役に立つのは今回は、リュックをしょわせてあげるくらい。なんせ、英語しかしゃべれないからだ。ウルフにせがんで、さっきあの人なんていってたの?と教えてもらう始末。いつもと役割が逆である。
ウルフは共産主義政権に対する嫌悪感を隠しきれない。モンテネグロの事実上の首都をポドゴリツァと呼ぶ。なお現在はこの名前である。その当時はチトーグラード。ユーゴスラヴィアの建国者、チトーの名をもらった名前である。もっとも、この名を言った時の地元の人の反応もヘンだと思った。「聞いたことない」って、知っているはずだと思うが。それから変わったんだから。
アーチー・グッドウィンは、もし、この国を征服したら、この街をグッドウィングラードに変えようと思う。
レニングラードをはじめ、コミュニストって町の名前をヘンに変えるところがヤなやつらだった。(なおレニングラードの元の名はサンクトペテルスベルグ。現在はこの名前になっている。ドストエフスキーの「罪と罰」の舞台になったところである)
今回は、謎解きというより、デブだけど意外にタフなウルフとアーチーの珍道中を楽しめる。風俗小説といったところだ。
ところでイギリスの空港でのアーチーは、イギリス英語とアメリカ英語の違いを見事に表現している。
イギリス人に聞くのだ。
「今のアナウンス何ていったの?」
「カイロ行きの飛行機が出発するそうですよ。」
「あーカイロっていってた気がする。ところで、これ何語?」
「・・・英語です。」
確かイギリス人がどこかで書いていた気がするけど、イギリス英語とアメリカ英語の差は、イギリス英語と日本語の差より大きいそうである。ま〜確かに、イギリス人と日本人って何となく似通っている気がするが。
モンテネグロの山はきつい。そんな中をネロ・ウルフはさっさと上り、(生まれ育ったところなので地理に明るいということもある)ニューヨーク育ちの都会っ子、アーチーはまいってしまう。
しかも、富士山以上の高地・・・虫も無理だそれ。
アーチーは夜をあかすときに「いや〜毛布はいいですよ〜、寒さなんて気にしません」なんてええかっこしいを言ったため、その晩はずっと寒さを気にしてすごす。翌朝凍りついて目が覚める。そりゃ高地の夜明けの寒さは、すごいでしょ。
最後は、ユーゴのスパイと直接対決。秘密情報部というかゲシュタポというか、ま〜そういう政府関係者と。
二人は偽名で親子という設定で旅をしているのだが、当局にネロ・ウルフを知らないかと尋ねられる。マルコ・ヴクチッチとからんでスパイ容疑がかかっていて、抹殺を検討していると。
アーチーが言いたい!と思ったのは、「いや〜こちとらもう何年も前からそのネロ・ウルフを始末したいと考えていたんですよ〜」
ウルフのわがままに振り回されて、衝突したりしてるからね〜。他の作品でも辞表を何度も提出しているし。
もちろん言っていないが。
人の精神という素晴らしいもの〜「レナードの朝」を読みました。
オリヴァー・サックス 春日井晶子 訳 早川書房
これは昔、映画を観た。
最近、インフルエンザが流行っているが、第二次大戦後にインフルエンザが大流行した際に、それと時を同じくして、おそらくその後遺症と思われる眠り病と呼ばれる奇妙な病気にかかった人がたくさんいた。亡くなった方も大勢いたが、生き残った人は不思議な病に苦しむこととなった。
彫像のように動くことができなくなったり、呼吸発作をという苦しそうなモノを起こしたり(映画のなかで、ロバート・デ・ニーロが見事に再現している)、自分から動くことができず、普通の人(スタッフなど)がちょっとさわってあげると、動き出すことができるのだ。
この脳炎後遺症患者を収容するマウント・カーメル病院で働くオリヴァー・サックス医師による患者さんたちの記録である。
この脳炎後遺症に新薬ができた。L−ドーパという薬である。効果があるという話を聞いて、投薬してみることにした。高いのだが、病院のスタッフがカンパしてくれたのだ。
このL−ドーパは劇的な効果を見せた・・・長年、彫像のように硬直していた人が動き出すのだ。彼らは長い眠りから覚めた(病気が流行ったのは1926年、投薬開始は1969年。40年もの間、精神的には眠っているも同然だった)
しかし、素晴らしい効果の後に副作用もあり・・・そして、逆に悪化しはじめたり、効果がなくなっていった。
ついに、サックス医師は決心して、L−ドーパの投薬を止め、人々は元の病状に戻っていったのである。なお、映画ではサックス医師はロビン・ウィリアムズが演じている。
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精神というのは、実に見事な調整作用を持っている。例えばこの病気のある人は前に移動しようとしても、逆方向の力を感じてどうしても前に進めない。力いっぱい進もうとしてもダメなのだ。健康な私たちが毎日何気なく行っている前へ進むという行為。これは、私たちの脳が力加減を見事に調整して、実行できるのだ。そのありがたみがわかる。
同じ事が、じっとする行為(どうしても動いてしまう患者さんがいる)、立ったり座ったりする行為にもいえる。
この調整が上手くいかなくなるのが病気なのではないか。小さいころ好きだった絵本の作者にかこさとしさんという人がいて、この人は精神科のお医者さんでもあった。
大人になってから、エッセーを読んだが、この人が言うには実は「正気」というのは積極的に定義することはできず、「精神的な病気ではない」としか言えないということだった。
うーん、調整が上手くいかなくなって、「おー、こういうしくみだったのかー」ということがわかるようだ。
そういう意味では、本当に面白い、興味がつきない。
とりわけ面白いのは時間の調整をする機能だ。もちろん、客観的な時間の流れではなく体感時間である。
彫像のように立っていた男性が時々見ると手をゆっくりゆっくりあげてなにやらしている。といっても時々、振り返って見ると手があがっているなとわかる程度だ。「だるまさんころんだ」というゲームをしたことがある人は大勢いると思うが、自分がオニであるかのように、見ると止まっているのだが、ゆっくりと動いている。
後でその男性に何をしていたのか聞く。
「鼻をかいていただけですよ、先生」という驚愕の答えである。
偶々、その男性をずっと撮影していたので、フィルムをコマ送りにして見ると、確かに鼻をかいている。
そこで、その男性に鼻をかくのにとてつもなく時間をかけていたことを話すと、「え、そんなに時間かかっていたんですか。おかしいなあ」という答えであった。
逆に時間が早くなるのもある。
映画の場面でも印象的だったのが、患者さんがあつまってトランプをする場面である。
はじめは、全く動かない。この病気の人は何かを自分で始めるというのがとても苦手なのだ。廊下などでも動かない人がずっと立っていたりする。スタッフや見舞いの人が、ちょっと手を触れて上げたり、横で一緒に歩いてあげると、歩き始める。トランプもスタッフの人が手を貸して、最初のカードを置いてあげる。
そうすると目にも止まらぬ速さで次から次へとトランプのカードが置かれ、あっという間に終了する。撮影して、コマをゆっくりにすると、はじめてちゃんとゲームをしていたのがわかるくらいだ。これはマネできない。
この人達は、「気が狂って」いるわけではない。内部には正常な精神が宿っているのだが、それを調整して上手く表現する精神的機能に障害があるだけである。
精神が肉体に命令して適切な調節をする機能である。肉体という牢獄に閉じ込められたようなものだ。
映画の題名にもなったレナードという患者さんは、リルケを引用し、黒豹が檻に閉じ込められているようだという。
そのために強いられる孤独感と、病院という非人間的な環境から、本当におかしくなってしまう患者さんも少数ながらいる。女性の患者さんのなかには、環境に上手く適応し、「目覚め」を楽しむ人もいる。
こういった病に苦しむ人を救うのは、薬だけではない。他の人との暖かい触れ合いである。病院のお役所のような冷たさ、非人間性が病気を悪化させていることはサックス医師も、指摘している。ある患者の女性は妹さんと外出する日には、妹さんによれば、全く症状がなくなるという。病院での孤独な日々がはじまると復活するのだが・・・。触れ合いといってもごく、軽いものだ。廊下で彫像のように立ち尽くす患者さんの手をちょっと握ってあげるだけで、何かがとけたかのように、その人は歩き出す。
触れ合いとともに大きな役割を果たすのは、「音楽」である。音楽がかかっている間だけ患者の人格を統合して癒やし、症状から解放して自由な動きを可能にする。(「あなたは音楽/音楽が鳴っている間は」T・S・エリオット)
この点について、音楽教師だったエディスという患者は深い洞察力をもって語る。
病気とともに彼女は「氷の額縁に入れられた写真」のような気持ちになった。それは視覚的な平面でしかなく、物質でも生命でもない。この生命のない世界、時間のない非現実的世界で、彼女は動きも救いもない状態であり続ける。
そこに音楽が訪れる。
「それはいろいろな歌、ずっと前から知っている曲、覚えやすい曲、リズムカルな曲、踊りたくなるような曲なんです。」
心の中に音楽が湧き出ると身体を動かす力、行動する力が唐突に戻ってくる。彼女は自分が物質であること、人格があることを思い出し、額縁から外に飛び出すことができる。自由でなめらかに動くことができる。
カントは音楽を「人をせかす芸術」と呼んだが、エディスに関して言えば、それは字義通りの意味である。彼女が持つ速さ、生きて動いているというアイデンティティと意志は音楽によって呼び覚まされるからだ。
音楽・・・とりわけ気に入った音楽は、素晴らしい効果があるようだ。確かに、かったるくてやる気がおきない時はお気に入りのCDなどを聞くと進みだす、、、と思う。