マイケル・クライトンの「恐怖の存在」の付録「政治の道具とされた科学が危険なのはなぜか」を読みました。

                   
 本編は「環境問題」の問題についてだったことは、前回の日記に書いたとおりである。


 これは、一世紀前よく似たことがおこったよね?というお話である。「科学的」にみえる学問(新しい科学理論)が世界中の科学者、政治家、著名人などの支持を集めた。そのなかには、W・チャーチル、シオドア・ルーズベルト、オリバー・W・ホームズ、ブランダイスなどの政治家、法律畑の有名人の名前がある。電話を発明したベル博士、スタンフォード大学創立者リーランド・スタンフォード、「タイム・マシン」で有名な作家のH・G・ウェルズ、劇作家のジョージ・バーナード・ショーなど、そうそうたる顔ぶれも含まれる。

 その「研究」のため、多額の資金援助が行われ、ロックフェラー財団カーネギー財団がバックアップした。ハーヴァード、プリンストン、イェール、(もちろん)スタンフォード、ジョンズ・ホプキンズなどの大学も、その研究には重要な役割を持っていた。
 アメリカ科学アカデミー、全米医師会、アメリカ学術審議会の支援もうけていた。

 また、この理論の提唱する「危機」に対応するための立法措置がとられた。ニューヨーク州からカリフォルニア州にいたるまで。

 この理論に反対する者は、実に少なく、その声は「現実を見ていない」「反動的」などと集中砲火をあびて、沈黙を余儀なくされた。

 この理論の研究は、アメリカが主体だったが、次第にドイツにリーダーシップを奪われるようになった。

 さて、この学問(理論)はなんでしょう?


  答えは優生学である。

 優生学によると、「遺伝子プールの劣化が人類の衰退を招く」という。優良な人間は劣等な人間(=外国人、移民、ユダヤ人、“心の弱い者たち”等)ほど速く増えない。そこで、劣等な人間を隔離、断種して増えないようにして、人類の衰退を防ごうとしたのである。

 アメリカでは、「劣等」な移民、黒人、「精神に欠陥のあるもの」の断種法が、ニューヨーク州からカリフォルニア州にいたるまでの29州で制定された。とりわけ、カリフォルニア州は熱心に断種を行ったそうである。カリフォルニアの精神風土であるリベラルで先進的な精神をもつ者はとりわけこの理論に惹かれたためとクライトン氏は推察している。

 ドイツ人はもっと過激にこの理論を実行した。(この人たちはどーも完璧主義な傾向がある)

 一見、ごくふつうの家を建てて、精神に欠陥のありそうな人と面接し、「劣等」な人と判断するとすぐに、裏手にあるガス室に送って殺し、死体も敷地内の火葬場で処分してしまうのである。
 後に、効率的に行うため、交通の便のいいところに、強制収容所を設けた。アウシュヴィッツなんか有名である。

 優生学のいう「危機」などは存在しないし、この名で行われたことは道義にもとる犯罪である。

 また、優生学には、科学的根拠など全くない。当時は遺伝子が何かということすらわかっていなかった(DNAなどという言葉があらわれるのは、もっとずっと後である)のである。

 にもかかわらず、優劣を論じ、「こころの弱い者」のような曖昧な言葉で明確な定義もなしに論文などを書いていたのだ。科学的な装いのもとの社会的計画だったのだ。

 普通に「黒人(とか)は嫌いだ」程度の感想なら、これほどの害はなかっただろうと思われる。率直に、「自分は白人だから、アイツラより偉い。あんな奴ら嫌いだ。うさんくさい。近所にきたらヤだなぁ。でもあいつらどうせ、子沢山なんだぜ。他に楽しみもないだろーし。」と言うだけならともかく、科学的なフリをして、ヒドイことを平気でするのは、あきれはてるとしか言いようがない。

 さすがに、ドイツの強制収容所の愚行を目にして、第二次大戦後は、優生学は衰退し、かつてこれを支持していたことすら、口をぬぐってしまう人々が多い。


 なお、優生学のような疑似科学の例(かつ悲惨な犠牲者を出した例)として、旧ソ連のルイセンコ農法があげられている。スターリンに支持されたこの農法は、反対する科学者の抹殺・強制労働所おくり(何百人)という直接的被害の他に、結果として生じた飢饉によって、何百万人もの死者をだした。


 当たり前のことであるが、科学は真実を探求するものであり、政治や法律などの社会的な装置の道具であってはならない。

 とはいえ、科学の対象が、人間である場合(医学とか心理学など)客観的になるのは非常に困難である。

 その困難さを認識せずに、安易に、自分の持っている(ことにすら気づいていない)偏見に気づかないで、結論を急ぎすぎるのが、こういった疑似科学に惑わされる要因といえる。

 人類は様々な過ちをおかしてきた。この経験に学ばないと、さらなる過ちが待っているはずである。

 なお、虫が最近見たTVドラマで(アメリカの警察の鑑識課のもの)、オリバー・W・ホームズ最高裁判官の「名」判決が出てきたので、優生学のお化けが出たような気がした。

 この回のドラマの内容は、精神病の多い家系の兄弟(兄は躁鬱病)で、兄が弟の恋人の女性(妊娠中)を殺すというものであった。
 
 兄の犯意のきっかけとして、3代続いた精神病患者は断種すべきであるとする、ホームズ判事の「名」判決が出てくるのである。(子供は4代目になるので、心の声が殺すように命じたそうである)

 これはちょっとばかばかしい話だと虫は思うが、「優生学の影響は未だに生きてるんだなあ」と感慨深く感じた。