「園芸家12ヶ月」を読みました。

        カレル・チャペック著 小松太郎訳 中公文庫

 「百円!!(税込百五円)」これが、この魅力あふれる本を買うのに虫が使った金額である。(ブックオフで買ったため。)
 しかし、断言してもいいが、この一週間ぐらいでこれほど有効にお金を使ったことはない。この本のページをあけるだけで、人は、園芸家になることができる。
 園芸家とは、一言で言えば、《未来への熱情》である。《あるべき》自分の庭を園芸カタログから夢想し、ぶつぶつ言いながら、雑草取りなどの作業をし、自分の庭に咲いた花は、(例えありふれたバラでも)これほど美しい花はかつて見たことがないと考える者である。
 面白いところを少しだけピックアップ!ぜんぜん足りないけど。

 『天候に一ぱいくわせて変わらせる手はいくらでもある。たとえば、わたしのもっているうちでいちばんあたたかい服を着ようと決心すると、例外なしに、必ず温度があがる。友達と山にスキーに行く約束をすると、たちまち雪がとけはじめる。』(1月の園芸家)
 さらにいえば、傘を忘れると土砂降りになるし、傘を持っていった日に限って曇り空が晴れ渡る。これは気象予報士といえども予測不可能であろう。

  『よりによって、どうしてうるう年にかぎり。この移り気な、カタル性の、陰険な、一寸法師の月を一日ふやすのかわからない。うるう年には、五月というあのすばらしい月を一日ふやして、32日にすればいい。そうすればすむのだ。』(2月の園芸家)
  確かに。2月が好きという人に、あまりおめにかかったことがない。1月はなんといっても、正月というイベントがあるし、1年のはじまりという特別な月である。しかし、2月は、正直いって、単にやりすごす月、ダレはじめの月である。しかしここを我慢しないと、3月以降が繰り上がってしまうからね。

  『よく聞きたまえ。死などというものは、決して存在しないのだ。眠りさえも存在しないのだ。わたしたちはただ、一つの季節から他の季節に育つだけだ。わたしたちは人生をあせってはならないのだ。人生は永遠なのだから。』
  よく死後の世界はどうなっているのか知りたがる人がいる。天国だの地獄だのいろいろな話が出回っている。要は死ぬのが怖いのだ。しかし、考えてみると、わたしたちは、生きている間は決して死なない。とすれば、人の一生という部分に限定すれば、その人自身の【死】というのは決して存在しないのだ。これは正しい。
  さらに言えば、あの毎日発生している、ベッドや布団の中にもぐりこんで、意識を失うイベント・・・【眠り】も起きている間は決しておきない。(眠りはじめた時点で起きてないから)そうすると、意識を保っている間(起きている時間)は、【眠り】は存在しない。死ぬことも眠ることと同じくらい存在しないのなら、恐がることはなさそうである。
 私たちは、ただ、次の季節に行くのだ。次の日に、次の人生に。だから、あせらず、すこしずつ行こう。