「コン・ティキ号探検記」を読みました。(2)

 前半は舵とりで苦労するが、舵を板にはさむことを発見し苦労しなくても舵とりができるため、のんびりとした日が続く。どこまでも続く海原、蒼穹は果てしない。筏のうえでごくごくのんびりと日々を過ごす。
 普通の船はエンジンがついているため魚達は怖がって逃げてしまい、人は船で太平洋を横断しても「何もいなかったよ」で終わってしまう。しかし、筏は違う。飛び魚が毎日何匹も飛び込んできて、しまいには珍しさも感じなくなるほどだ。筏の上の小屋の入り口近くで寝ているものは、飛び魚がぶつかってきて痛いくらいだ。この飛び魚は、フライなどにして食べてもいいし、そのまま海に捨ててもいい。よくやるのが、エサにして別の大きな魚を釣ることだ。海流とともに進んでいるので魚の量は豊富である。飢え死にすることは、まさしく、不可能であった。
 魚たちは面白がって(?)筏と一緒に泳ぎ、その魚を食べる別の魚も追いかけてくる。筏は流れるにつれて、海草のヒゲを生やす。乗務員はノルウェー人(一人だけスウェーデン人)なので魚は食べるが、海草は食べない。もし日本人だったら、ワカメの味噌汁や昆布の煮物なんかを思いっきり楽しめたはずである。かつおもまぐろも食い放題だし!ま、とにかく、その海草を食べる魚が群がり、さらにその小魚を食べる魚が群がってきていた。しいら(沖縄では一般的な、派手な模様のおいしい白身魚である)のステーキを食べたいと思ったら、料理の30分前に釣竿をおろせばいいそうである。
  この部分を読んでいた時期に、知り合いにクイズを出された。
  「レストランで海がめのスープを飲んでいたある男が、給仕にこれは本当に海ガメのスープか尋ねる。さようでございます、と給仕が答えると、飲み終えた男は家に帰って自殺した。なぜか。」というものである。
  降参したところ、「海ガメのスープの味が以前飲んだものと違っていたから」と教えてくれた。つまり、その男に漂流経験があって、カニバルなお話なのであった。そこで、読んでいた部分のコン・ティキ号の話をしたところ、「いずれ食糧難があって、大変なことになる展開なんだよ。きっと。」というのが感想であった。その知り合いをがっかりさせて悪いが、食料難には一切ならなかった。水も、天から注いでくる例のもの(これも十分だった)を除いても、魚に含まれる水分(もちろん味は悪いが・・)で十分やっていけそうなのである。
 さらに実験的に目の細かい網で、アミなどの微生物を食べ、これはこれでおいしかったそうである。少なくとも乗組員の過半数は食べられる味だと思った。クジラはこの方法であの巨体を維持しているのであるから、人間にできないわけはない。同じ哺乳類なのだから。
  時々クジラに遭遇した時は何ともいえない暖かみを感じたそうである。友情の芽生えというか・・・、やはり同じ哺乳類である。これに対して、サメの目は空ろであり、これも時おりお目もじしたが、全く親近感を覚えなかったそうである。初めの遭遇では、毎回戦闘態勢にはいったが、だんだん慣れてきて、特に騒ぎ立てることはなくなった。(しかし、海水浴は中止した)
  そのうち、退屈しのぎに、魚をエサにサメを釣って筏の上にのせ、あの有名なヒレのつけねに「つかむためにあるような」くぼみをしっかり握ってサメが海に帰るのを妨害するというゲームを発明した。
  航海は順調にすすみ、太平洋の島に上陸した。(上陸は大変だったようである。さんご礁などにひっかかって)現地の人達は、彼らの目的が、伝説の大酋長兼神様であるティキの足跡をたどることにあると聞き、大喜びであった。すばらしいご馳走、そしてフラダンス・・・。若者達がゆっくりしたリズムで地面をたたく事に始まり、それに鼓手が加わってだんだんリズムが早く、「完全」になりそれにあわせて、太鼓、手拍子、歌、ダンスは、だんだん、だんだん速くなった。ダンスはだんだん奔放になり、人々は完全なリズムで掛け声をかけた。彼らの熱狂は果てがなかった。
  このようなリディメイツを思わせる熱狂のなかで南国の夜は更けていく。書き手自身も踊りに参加する。
  この音楽はラロイアというらしい。このような果てしない歓喜と熱狂、そして星のまたたきと揺れる椰子の実のうちに、この本からの喜びをそっと閉じることにしよう。