メンズリブという生き方〜「男の人ってどうしてこうなの?」を読みました。(5)

           スティーヴン・ビダルフ   菅 靖彦 訳    草思社


 さて、この本が提案する新しい男の生き方は7つのステップに分かれていて、まだ「父親との関係を修復する」と「セックスに神聖さを見出す」の二つしか終わっていない。なお最初のステップからふまなくてはならないものではなく、どれでも、「こういったところはあるなぁ」と思ったら、取り入れてみると人生変わるかもしれない。

 正直、一つずつ書いてくのも面倒なので、残りの5つを駆け足で紹介して終わりにする。興味を持たれたら、是非メンズリブ関連の文献をご覧になるとよいと思う。日本にもこういったグループがあるかどうかは知らないが、たぶんあるのだろう。参加してみても面白いかもしれない。


「パートナーと対等に向き合う」
 

 この要は「対等に」という点にある。

 つまり、結婚などで女性のパートナーを得たときに、決定権を全面的に妻に任せてしまう夫が多すぎる。もっときちんと自分の意見を言うべきである。つまり、男性はもうちょっと権利を主張していい。

 結婚すると道からそれてすべての決定権を女性にまかせる・・・という一部の男性が行っていることをしてはならない。結婚は思考を停止させるいいわけにならない。結婚しても、まっすぐ前を見てそのまま歩き続けなくてはならない。

 こうなるのは、男性の持つ女性観に問題がある。女性をとんでもない悪魔か聖女だと考え、自分の妻を聖女にしたてて、それ以外の女性を悪魔に割り当てて(自分を誘惑しようとしているなどと思って)しまう。誰もはっきりとは言わないが既婚男性からこういった女性観を感じることは多い。

 しかしながら、妻も1人の人間である。このごく当たり前の事実に驚く男性が多いという。

 だから彼女が正しいこともあれば、間違っていることもある。
 大切なのは、交渉から逃げ出さずに話し合うということだ。けんかは大きな学習と成長の機会になりうる。

 女性も内心では頼りがいのある夫を求めている。ある妻は夫がメンズリブのカウンセリングを受けた後、こう言った。「サムは以前より強くなり、自分のことを語り、どう感じているかをはっきり教えてくれるようになりました。」彼女はためらいがちに続けた。「ずっと夫にそのようにしてもらいたいと思っていたのですが、わたしの中に夫より優位に立ち彼を自分の思い通りにできるのを楽しんでいた部分があると思います。これ以上、そんなことをしなくてすむほど強くなりたいですね。」

 お互いに尊重しあいながら、言うべきことは言う。ただし、暴力に訴えたい気持ちを抑えられない場合は緊急のカウンセリングが必要である。

 また、長い結婚生活では性的に遠ざかったりすることもある。「長い暗い夜」というのはどの結婚生活でもあるようだ。この本では、あなたの結婚や幸せに味方してくれる同性の友人に助けを求めるようアドバイスされている。これは酒を飲んで愚痴を聞いてくれる友人ということではない。とりわけ女嫌いの発言をする酒場によくいるタイプは、既婚未婚にかかわらず、女性関係の失敗者と見ていい。
 これは「女性の愛なしでは生きていけない」という男性の誤った思い込みから生じるものだという。
 同性の友人に遊んでもらい、考えていることをすっかり吐き出したあと、また再出発をすればいい。


「子どもと積極的にかかわる」

 母親業も大切で大変な仕事だが、「父親業」の重要性は、今まで語られていなかったように思う。これも大切で重要な仕事だ。

 父親の影の薄い男の子は、攻撃的でだれかれかまわずケンカをふっかけるマッチョ・マニアになるか、自信のない「お母さんっ子」タイプになる。とりわけ年の離れた男性とのコミュニケーションをうまく持てなくなる。

 女の子にとっても父親との関係は重要だ。父親との関係に問題のあった女の子は、DVやアルコール依存症などの問題をかかえる(父親と同じタイプの)男性にひかれ、破滅的な関係を繰り返す傾向がある。

 母親は、特に子どもが小さいうちは、子供と一体性を持ってやさしく接するのを得意とするから、厳しいしつけは積極的に父親が受け持つことが好ましい。

 いずれにせよ、父親が自分の子どもと親密な接触をする・・・できれば一日数時間以上・・・ことは、子どもにとっては欠くべからざる事柄なのだ。

 子どもが建てたツミキの家を「津波だぞ〜」と壊してふざけあったり、レスリンごっこを通して、力の加減の方法を教えたり、といったことは父親にしかできないと思う。

 「父親のいないアメリカ」(デヴィッド・ブランケンホーン)という本によれば、アメリカでは子供達の約半数が父親のいない家庭で育っている。そして、父親の不存在が多くの社会問題を起こしている可能性があるという。

 その研究結果を紹介する。
 父親が家にいると自尊心が高くなる。学校でもうまくやり、長く学校にとどまり、資格を取得することが多く、職も得やすい。性的虐待を受けたり、法にふれる問題も起こしにくい。女の子は早いうちに性経験をしたり、10代での妊娠も少ない。

 父親のいない娘たちは、男性から「影響をうけやす」く、男性を喜ばせようとしがちである。父親がいないか不在がちな少年たちは、暴力的になりやすく、問題を起こしがちである。

 しかしながら、父親以外の男性も子育てに重要な役目を果たしうる。この本ではつりやクリケットのクラブに入って、、息子を連れ出しにいってくれる男の友人を持つことを勧めているが、日本にもそれに相当するものがあるに違いない。

 シングルマザーの母親に頼まれて、サポートグループの男性数人が息子を朝、起こしにいったことなどが笑えた。驚き、困惑しつつも息子は嬉しそうだったという。父親の代替でもいい。やはり必要なのだ。


「自分の仕事に愛着を持つ」

 男を語る上で仕事は欠かせない。男たちは仕事を愛し、いそしんできた。

 オーストラリアでは夜遅くまでガレージで車の修理や改造にいそしむ男性の姿をよく見るそうである。日本でも、職人さんたちの工芸にかける情熱や町工場で働いている姿には本当に感動する。

 問題はその仕事に愛着がもてるかどうかである。

 産業革命以降のオフイスワーク(ネクタイ・スーツが象徴)のほとんどが自分を殺して相手のいいなりになる、愛着の持ちにくい仕事になってしまったと思う。

 とりわけ、日本で盛んな利益優先、営業中心の企業文化は、上司の命令とあらばガケから飛び降りることも厭わない「ヘイタイ」をつくるにすぎず、しかも「使い捨て」である。(正社員以外はさらなる使い捨てである)

 こんな仕事にヘトヘトになり、朝9時から夜中の11時ぐらいまで拘束されては、人間らしい生活ができようはずもない。

 自分を生かす、愛着のある仕事をするというのは重要だ。農業や自分の店を持つといった自営業も一つの選択だ。

 また同じ仕事でも、他人を助けるという点に焦点を合わせると愛着が持てるようになる。例えば、受付や店員、バスやタクシーの運転手は、出会う人々に大きな影響力を持っている。機械的に作業をこなすのではなく、彼らとの触れ合いを関心を持って行えば、愛着が持てるようになる。

「同性の友人を持つ」
 
 残念なことだが、男に友達はいない・・・とある。周知の事実のようだ。

 男性同士は過剰なまでに「競争的」である。(だから他の男性がいないほうがくつろげる)

 例えば、作者がプールサイドで他の男性と会った場合はこんな感じである。
 まず襲われる危険がないかチェックする。次に自分より強そうか、いい服を着てるか、体格的に勝ってるかどうかをチェックする。もし女性と一緒なら彼女が実際には彼を好きでない兆候を探す・・・。駐車場が見えたら、乗ってきた車をチェックする。次に・・・といった具合である。

 いらない競争をやめて、支えあう兄弟として男性を見るようにすると大きな慰めが得られる。

メンズリブグループで、心の中をうちあけあうときの様子は感動的だ。

 とりわけ、年配の男性の参加は貴重だ。彼らの暖かいユーモアで救われる。

まずうまくいっていないことをしゃべり、他の男性はよくあるように、裁定や判断をするような言動をつつしんでひたすら相手の言うことを聞く。静かに、たんたんと話し込むにつれて、男たちは泣き始める。

 男たちの内部には長期間にわたってためこまれたプレッシャーがある。

泣くほうが、死ぬよりずっといい。

 男たちが感情を表現しないと妻たちは言うが、まず、なにより男同士で感情を表現したほうがいいという。男の感情は女とは異なる。しかし一旦感情表現をはじめれば、自己表現についての問題はなくなる。

 悲しみを表現できるようになるし、男同士で楽しむことも友情の理由である。活気と愛情にあふれた自由な楽しみは人生の貴重な贈り物だ。

 是非とも、同性の友人を持とう。

「野生のスピリットを解き放つ」

 率直に言って、ここはよくわからない。

 だが、はっきり言えば、宗教を持つという事だと思う。(ただしまともな宗教の話だ)

 ここではキリスト教と仏教とアボリジニが例に挙がっている。

 ま、スピリチュアルとかいう話になると、ニセ物が横行しているので、まゆにつばをつけたくなる気持ちはわかる。

 しかし、少年が大人の男になる通過儀礼は、どんな民族にも必ずあるように思う。現代では既成のものはないから、自分なりに作り出すことが必要になってくると思う。

 環境を変えたり、髪型を変えたりといったことだ。

 作者は、ニューギニアに行って住み、石器時代を体験するツアーに参加することをこれにした。思いがけない出会いや友人が、自分を変えてくれたという。

 若者に彼ら自身が聖なる存在であることを教え、大人の精神世界に導いてくれるものなのだ。

 ただし、イニシエーションは、少年を傷つけるものであってはならない。その点、大学で新入生に行われるものは失格なものもある。年長の男性の監督がいる。

 今日でもイニシエーションの代替になるものはたくさんある。スポーツや、旅行、あるいは単に集まって楽しむことなどである。

 また大人になってからも試練はある。「灰の時代」と作者は呼ぶ。どんな男も40歳前に成熟することはなく、灰の時代を過ぎてはじめて成熟する。

 考えてみると「男らしさ」というのは内なる野生とつねにつながっていることといえるかもしれない。


 最後に、産業革命などの西欧文明が私たちに与えた影響は非常に大きい。社会のあり方と個人のあり方を大きく変えてしまったが、そこには良いとばかりいえない部分がある。何事もそうだが。

 これからの生き方を考え直す上で参考になる本だと思う。