父親との対決〜「男の人ってどうしてこうなの?」を読みました(3)

              スティーヴ・ビダルフ  菅 靖彦 訳   草思社

ではどうしたらいいか。

 男性がこのように孤独を感じ、強迫的なまでに競争的であり、感情を表に表すことをおそれているのはなぜか。

 答えは簡単、どうしたらいいかわからないからだ。

 成熟した大人の男性は、自分の攻撃性や性欲をコントロールするすべを知っている。自然な自信をもち、女性や子どもや他の社会のメンバーと建設的なよい関係を築いている。「父親の権威」などというが、してはならないことを教えて必要な時に愛情を持って叱るのは人間社会に必要不可欠な営みである。

 大人の男性がどう振舞うか、それを少年たちは他の大人の男性たちから学ぶ。もし学ぶ機会がなかった場合、年だけは取るが、中身は男の子のままになってしまう。

 より原始的なスタイルの暮らし方を考えてみよう。明治以前の日本でもいいし、西欧の文明にまだ毒されていないアフリカなどの部族でもいい。部族や地方でそれぞれ習慣は異なるであろうが、男性が家から遠くに離れたところに長時間拘束されるということはないだろう。狩猟にでるといっても、毎日長時間行くわけではないし(シーズンがある)、狩猟のための準備作業、鉄砲や弓矢の手入れなども家でやるからだ。牧畜や農業だったら女性や他の家族が行くことも多いし、何と言ってもたいていは家の近くで行われる。男の子は、ある程度の年齢になると、父親や部族の他の男たちから、仕事の方法を習う。男たちのコミュニティに組み入れられる。そこでは毎日、何時間も他の大人の男たちの指導や触れ合いを受けることができる。その教育を受けて、はじめて一人前になれるのである。男の子を一人前に育てられるかには、その村や種族、社会共同体の存亡がかかっているのだ。なお、明治以前でも、武士は、現在のサラリーマンと似たようなものとしてとらえられているが、武家では一定年齢以上の男の子の教育は父親によって行われる風習であった。

 産業革命は、「男は外で働き、女は家を守る」という性的役割分担(ジェンダー)を生み出し、妻から夫を奪って、家に閉じ込めた。そして子供達から父親を奪った。男の子も母親が、母親だけが育てるようになった。男の子たちは産業革命により多くの父親が従うようになったライフスタイル・・・家から遠く離れたところに何時間も閉じ込められる・・・によって大人の男性たちから学ぶ機会を奪われてしまったのだ。産業革命にはこのような副産物もあったのだ!

 確かに、若い人はご存知ないと思うが、昭和20年ぐらいごろ、高度経済成長により、「男性が会社などのオフィスで働く」ことが一般的になったとき、サラリーマンやOLといった言葉が華やかに登場したころ、家庭における「父親の不在」や「父親の権威の失墜」が新聞などのマスコミでとりあげられていた。古い資料などを調べていただければわかると思う。
 今では「父親の権威の失墜」などを問題にするマスコミはどこにもいない。それが問題でなくなったのではなく、現在のマスコミの担い手も父親の実質的不在のなかで育ったため、それが問題になるとは夢にも思わないのだ。しかし、父親の指導や愛情や触れ合いを受けられなかったことが、現在も様々な問題を引き起こしていることは確かだと思う。お店などで列に割り込んだり、一般常識を持たない中年男性についてよくネットなどで見聞きするが、まさに「父親不在」が問題になった世代である。

 男性が家庭で伝統的に培ってきたコミュニケーションの流れは断絶してしまった。


 他の動物は、生まれればすぐに一人前になる。牛はすぐに自分の足で立つことができる。

 しかし、人間は他の人間による保護や教育があって初めて一人前になれる。

 とりわけ、男の子がティーンエイジャーぐらいになって、身体が大きくなり、内なる攻撃性や性欲に目覚めはじめると、その制御の方法を教える大人の男性が絶対必要である。

 少年たちが不良仲間に入り、大人から見ると奇異に映るファッション(長髪、茶髪、最近ではズボンのズリさげとか、入れ墨とか)に身をつつみ、犯罪や麻薬に手を出すのは、年上の男性の注意を引きたいからだ。彼らは心の奥底で父親を求めている。良い警官はそれがわかっているという。



 で、どうしたらいいか。

 まず、父親との対決である。自分の男性性を基礎づける存在、それが父親である。

 父親は、よかれあしかれ、自分の「男であること」を判定する基準となっている。人生のある段階で父親と腹を割った話し合いをすることが大切である。

 父親とそんな話し合いをしたことがないという人がほとんどだろう。父親を嫌っている?そうかもしれない。中には生まれてこのかた父親にあったことがないひともいるかもしれない。アルコール依存症だったり妻子を殴るような男かもしれない。そうだとしても生物学的父親は重要である。

 長距離電話で父親と話した若者の話をしよう。

「こんにちは、お父さん、僕だよ」
「う、うん・・・そうかお前か!お母さんを呼んでくるよ」
「いや、お母さんを呼ばなくていいよ。お父さんと話したいんだ・・・」
しばし沈黙・・・。
「どうしたんだ?金が欲しいのか?」
「いや、金なんかほしくないよ」
 それから若者は多少リハーサルをしたものの言いにくい話をはじめた。
「お父さんのことたくさん思い出したんだ。お父さんが僕にしてくれたことをね。僕を大学に入れ、支えるためにずっと働いてくれたでしょう。今、僕の人生は良くなりつつある。それもこれもお父さんが僕を独り立ちさせるために働いてくれたおかげなんだ。そのことを考えているうちに、『ありがとう』って言っていなかったことに気付いたんだ。」
電話線の向こうが沈黙したままだったので若者はつづけた。
「ありがとうってお父さんに言いたいんだ。・・・それに愛してるって」
「お前、酒をのんでるのか?」

この話をすると聴衆は笑うが、男たちは瞳を濡らし、輝かせながら笑う。

 
 そして、どんな父親でも、息子に愛され、慕われるのを心の底では待ち焦がれながら人生を送っているという。

 ある男は両親が離婚して以来、父親に会っていなかったが、母親は息子のためを思って父親に刃向かわせるようにしたため、父親に偏見を持つようになっていた。
 だが35歳になったとき、父親は実際はどんな人間だったのか疑問に思うようになった。
 そこで飛行機でシアトルに飛び、父の家を訪ねた。
 「父さんにひとつ、わかってもらいたいと思うことがあるんだ。もう母さんの父さんに対する見方をうけいれていないということをね。」
 父親は泣き崩れて言った。「これで死ねる」と。

 ただ、それは父親をなにがなんでも美化するものではない。ありのままの父親の姿を理解し、その関係を修復するものだ。
 腹の割った話をし、父親の経験を聞こう。あなたが思っているようなことではないかもしれない。
 生い立ちや所帯をもってからのこと、子どもに関する事を。

 そして、自分が父親で、話をできるぐらい息子が大きくなっていたら、息子とも腹を割った話し合いをすることをおすすめする。自分が親になって、はじめて親のことがわかる部分もあるという。

もし、父親が他界している場合はどうすればいいだろうか。父親をあらためて理解しなおすことが必要である。次のような方法がすすめられている。

  • 父がまだ生きているつもりで手紙を書く。
  • 父の人生で重要な役割を果たした場所を訪れる。
  • 父についてくわしく知っていそうな人物に話を聞く。
  • 父の夢をみようとする。
  • 父について男性のカウンセラーと話す。

同性の親との関係は本当に重要なんだなと思う。女の子にとって母親との関係も大変だが。

そういった、男性のつながりが断たれて育った以上、自分が自分の父親になってもう一度育てるしかない。父親との対決はその第一歩だと思う。

 他の方法については次回。