死ぬことに向き合う〜「死ぬまでにしたい10のこと 初めて人生を愛することを知った女性の感動の物語」を読みました。
ナンシー・キンケイド 著 和田まゆ子 訳 祥伝社
これは深夜テレビでやっていた映画に感動したため、原作本を読んでみた。短編なのですぐ読める。
これは映画のほうがよかったかもしれない。
というか、20代そこそこで、ガンで死んでいく女性が死ぬまでにしたいと思ったこと10個リストアップして、それを実行していく・・・という設定だけで、3回ぐらいは大泣きできる。設定勝ちな話といえる。
よくビジネス書などで、「本当にしたいことをリストアップしよう」というのを読む。
それでリストアップしてみたりするのだが、「したい」というモノのなかに、自分ではなく、家族の希望とか、世の中に対する「見栄」でしたいと思い込んでいるモノがまぎれこんでいる。少なくとも虫の場合は・・・、それで「やらされている」感があって、結局しないということが多かった。結局、こういう心理的抵抗に立ち向かうほうが先だったのかなと思う。
具体的にいうと、「有名な大学に入って欲しい」というのが親の希望だとすると、自分の希望も「有名大学に入りたい」になっている高校生みたいなものだ。自分の希望であると思い込まされている部分があり、これが後々尾をひいている感じなのである。
人は、特に女性は自分自身を抑圧しがちである。
しかし、余命が短いことを知ると、本当にしたかったことをしないで死んでいいのかという疑問がわいてくる。死ぬことに向き合って初めて、生きることを味わおうという気持ちが湧いてくる。
この主人公の女性は若くして結婚し、子どもがいる。映画では2人、原作では3人。ブルーカラーの労働をしている。夫は失業中。
死んでいく今になって、タバコが吸いたかったこと、お酒を飲みたかったこと、悪いののしり言葉を使いたかったこと、いいたいときに本当のことが言えなかったことに気付く。この最後のところは、じんとくる。たいていの人が言えない生活を送っているかもしれないが、それで何の人生なんだろう。
そして、恋がしたかったことに気付いて、男をつくる。ここはいい感じだと思った。いいことだ。
この話でいいのは、「したいこと」の中に、残されていく家族のためにすることがあることだ。
子供達のために誕生日に送るメッセージを録音し、弁護士に預けて成人するまで毎年送るようにする。夫は、すぐに全部聞いてしまうことがわかっているからだ。
夫のために、再婚相手をつくる。映画での看護士さんの女性はいい感じだった。原作でははやばやと浮気するところがちょっと笑えたが。
死ぬことと向き合ってはじめて、生き方がわかる。
理想はガンにならずとも、死を忘れずにいて、よく生きようとすることだろう。古代ローマ人は奴隷を使って、常に「メメント・モリ」つまり「死を思え」と言わせたという。現代ではより、手軽で奴隷よりは安い(奴隷は買うと高いので)、i-podや携帯、リコーダーという手段がある。
あと一年で死ぬとしたら、何をしたいだろうか。
参考までに、原作でのこの主人公の女性のしたいことリストをあげておく。短くはしょってところもある。
- もういちど洗礼をうける。
- 写真を写真屋さんに撮ってもらう。それをみんなに配る。
- ほかの人と愛し合う
- ヴァージルに彼女を見つける
- 子供達にみんなが21歳になるまでの誕生日メッセージ。
- 毎日子供達に「愛している」という。
- 好きなだけ、タバコを吸い、お酒を飲む。
- 好きなだけ乱暴な言葉でののしる。
- 言いたかったら本当のことをいう。
- 10ポンドやせてもっといいヘアスタイルにする。