自分の時間を取り返せ!〜「モモ」を読みました(5)

      ミヒャエル・エンデ 作 大島かおり 訳   岩波書店

 ふと気付いたが、登場人物の紹介だけで、肝心のあらすじにからむところは何も紹介していない。

 本の表紙に書いてあるように、「時間ドロボウから時間を取り戻した女の子(=モモ)のお話」なのだが。

 さて、時間ドロボウである。

 ここにでてくる時間ドロボウは灰色の男たちで、こう名乗る。

「わたしは、時間貯蓄銀行からきました。ナンバーXYQ/389/bという者です」

「あなたは時間を無駄にしていませんか?時間を節約すれば、私たちの銀行口座に入り、倍になってもどってきます」

 「時間の節約」

 今でもビジネス書の重要な一部門といえるだろう。他にも「タイム・マネージメント」「時間の有効活用」などなど様々な呼び方を持つ。豊かになるために、お金持ちになるためにちょっとでもヒマがあったらお金を儲けるための行動をしようといった意味合いを含むこの言葉は、日本でも広く愛好されている。「ヒマがなくて」とすぐ言う人が周りにいないだろうか。あなた自身もそういって、内心したかったことを先延ばしにしたり、やらなかったことはないだろうか。そうやって時間を節約すると本当にお金持ちになれるのか、豊かになれるのか。

 効率を重視して、この「時間の節約」をすると、なぜか人生がとてもつまらなくなる。楽しかったはずの仕事、友達づきあい、食事、家族との触れ合い、恋人との語らい・・・。

床屋のフーバーさんを見てみよう。
灰色の男の訪問を受けて「時間を無駄にしている」ことに気付いたフーバーさんは、今までとやり方を全く変えることにする。
それまでは、お客さんとの会話を楽しみながら、のんびり、ゆっくりヒゲをそったり、髪を刈っていたが、そんなことはやめ、無駄口や冗談をたたくのをやめて効率的に機械的にすることにした。おかげで客はたくさんこなせるようになった・・・しかし仕事が急激につまらなくなったのだ。お金も貯まるが、ストレスもたまる。
 毎日、同居のお母さんと過ごしていた時間が惜しくて、お母さんを老人ホームに追いやってしまう。さらに痛手なのは、足の不自由な女性との交際を止めてしまったことだ。その交際は楽しかったし、彼女も喜んでいた。
 しかし、今や交際は「生産的」なものでなければならないのだ。
 ますます、忙しく仕事をしながら、フーバーさんは何かおかしいと不安を覚える。蓄えた時間はどこに行ったのだろう。もう少し、お金を貯めたらゆとりができるだろうか・・・。
 お気づきだろうか。削った時間こそ、「生きた」時間なのだ。無駄などではない。

居酒屋のニーノは灰色の男の訪問を受けていらい、たった一杯の酒でねばり、世間話に興じていた地元のおじいさんたちを追い出してしまった。その中には、奥さんのリリアーナのエットーレおじさんも含まれていたので、奥さんとケンカが絶えない。

 このモモが書かれたにもかかわらず、高度経済成長に続く、「効率化」「時間を節約して金持ちになろう」的な流れは止まらなかった。80年代ぐらいからも、どんどん悪化する一方。このイタリアも日本も襲った大量生産、大量消費の波、でも日本の方が悪影響がひどい気がする。イタリアやヨーロッパではまだ自分の私生活を大切にする風潮がほそぼそと残っていたけど、日本は戦時中の「滅私奉公」をそのまま会社に向けてる感じ。会社に奉公したって会社は何もしてくれないのに。
 こういった「効率化」は経済が上向くという事を前提にしている。ところが、このところ上向いていない。
 会社なんかで、会社に全てを捧げることを若手に押し付ける中堅社員はこのバブル期の考えから抜け切れていない。若手はいくら捧げても見返りがないことがはっきりしているから、テキトーにこなす。これが本来正しいのだけどね。
 最近、やっと、「ロハス」とか、自分の生活を大切にという流れが出てきた。実に喜ばしい。
 自分の時間は自分のもの。
 会社に売ってても、全部支配されるわけではない。

まず、サービス残業はやめよう。
 これぞ、本来の時間ドロボウ。
 会社をドロボウにするとはねえ。正社員だろーが、非正社員だろーが、いけない。いけないことはいけない。

これが難しい人は、こんなのはどうだろう。仕事を自分のペースでやる。あせってやれば、ミスも増える。断固として自分のペースで。立場が弱いからといって、理不尽なこと言われる筋合いはない。

これもちょっと・・・という人でもこれはできないか?仕事を自分なりに楽しむ。接客業なら余計な無駄口をたたいてみる。床屋のフーバーさんが以前していたように。道路掃除や、事務などの作業系は、ひとつずつ。心をこめて。できたら達成感を味わう。
 仕事だからといって、タマシイを抜かれたような機械になれなんて言うほうがヘンだ。自分なりの主体性を持てれば、「自分の時間」になる!!

 サラリーマンが自分の店を始めたり、「自分の時間」を取り戻している人は増えつつある。

 仕事ばかりではない。テレビのような受身の娯楽も時間ドロボウだ。

 フーバーさんやニーノを訪ねて、時間を取り戻すのを手伝ったモモに灰色の男が訪ねてくるが、モモに人形をあげることで、時間を奪おうとする。人形というのはこの場合、しゃべり、いろいろな着せ替えや付属品がたくさんついているモノだ。
 ボロい人形でも、女の子が人形の分もしゃべり、いろいろな設定を楽しんでいる場合は積極的に自分の時間を過ごしている。これが本来のお人形さんごっこだ。
 しかし「ワタシはビビ、完全無欠な人形よ」なんてしゃべったり、着せ替えやらハンドバッグをたくさん持っていて、次から次へと買い足すことが必要な場合、その人形の会社の設定でしか遊べないからつまらない。
 日本のリカちゃん人形やアメリカのバービー人形なんかがそうだ。
 モモは生まれてはじめて、「退屈」を感じる。

 ゲームも一定の設定でしか遊べないからそうだ。

 もっと積極的に、自分なりの世界をつくったほうが断然面白いのだが。

 人のペースではなくて自分のペースでゆったりいけてること、面白くかんじること、時間があっという間に過ぎること、積極的な働きかけであることなどが、「自分の時間」を生きている証拠だ。

 自分の時間を取り戻せ!

 一生の時間は限られている。