気がつくと、周りに誰もいなかった。〜「モモ」を読みました。(1)

                ミヒャエル・エンデ 作 大島かおり 訳   岩波書店


 気がつくと、周りに誰もいなかった。

 小学校4年か5年の時である。田舎の小学校に通っていた虫は、大人しい、目立たない子だった。
 担任の先生は体育の若い男の先生で、その先生の授業だったと思う。あ、小学校だから全部そうか。

 学級文庫に入っていたこの「モモ」という本をたしか、10分休みに読み始めたと思う。

 (あれ?静かだな・・・なんかおかしいかも)と思って顔を上げたら、周りには誰もいなかった。次は体育の時間だった!体操着に着替える前の服がみんなの机の上に積んである。誰もいない教室はやけに静かで、普段と勝手が違っていた。

 (やっば〜〜!どうしよう!)と思って教室にかかってる時計を見ると、急いで着替えて「遅刻しました、すいません」と言い出すのも遅すぎるような時間で、あと10分とかそんな時間だった。着替えて校庭にでるだけで、終わってしまいそうである。

 ベランダから校庭を見ると、光の中でなにやらみんな楽しそうにドッジボールかなにかをしている。

(楽しそう・・・だけどドッジボール苦手だからいっか)と思い、もう一度読み始めた。その瞬間、本の虫が誕生したと思う。少なくとも、自分がどれだけ本好きかをはじめて悟った。

 皆が戻ってきて、着替えはじめたとき、仲のいい子は、病気で見学したと思ったらしかった。「ええ、、、まぁ」なんてごまかしながら、先生にいつ怒られるかと思ってヒヤヒヤしていた。いつもよりターボかけて大人しくしていた。

 結局その日の体育のことでは全く怒られなかった。脳みそまで筋肉でできてそうな体育会系の担任の先生だったが、わざとではないことをなんとなく理解してくれていたんだろうと思う。そしてどう扱っていいかわからなかったのだろう。田舎の小学校で、東京の私立の中学校に進学したのは、小学校全体で、虫だけだった。

 卒業のときに、その先生がこの「モモ」をくれた。今も手元にあるこの本である。

 このミヒャエル・エンデの別の本で「はてしない物語」というのがある。(「ネバーエンディングストーリー」という題名で映画化されているが、映画はおすすめできない)とても面白い本で、もうちょっと最近読んだ「ソフィーの世界」とちょっと似ている。

 その本の中で、本を万引きして、学校をさぼり、読みふけっているバスティアンという少年が主人公なのだが、やったことは多少違っているが(万引きじゃなくて学級文庫、とかさぼったのは体育だけ、とか)、バスティアンの気持ちはとてもよくわかると言っても信じてくれると思う。この本の中で、衝動的に本を盗む瞬間の気持ちが書いてあるが、まさに衝動としかいいようがない。

 たとえていえば、アルコール依存症(この時代はまだアル中と言っていた)の人が最初の一口を飲み始める瞬間、賭博依存症患者が賭け事をはじめる瞬間のようなものだろうか。

 ハイ。読まずにはいられません!!
 自慢できるようなことでもないと思うがどうしようもない。

 楽しい本を読んでいるときが「ああ、生きてるんだなぁ」と思える瞬間である。

 本を読み始めるというのは、まさに異世界に吸い込まれる瞬間である。

 本の中の経験は、実際の経験と同じくらい得る物が大きかったと思う。なにより楽しい。

だから、この「モモ」は思い入れのある一冊である。この本、大好き。しばらくこの本の話をしたい。

 ◇   ◇   ◇

 この物語の主人公は「モモ」という女の子。

 日本語だと「桃」と同音なので、女の子に多そうなイメージである。「桃子」さんはけっこういるし。

 しかし、これはヨーロッパのお話しで、おそらく「モモ」は桃と同じ発音ではない。

 ミヒャエル・エンデさんはドイツの人だが、「モモ」の舞台はイタリアっぽい。「モモ」以外の名前の感じがそうである。

 M(子音)→O(母音)、M(子音)→O(母音) と母音と子音が対応しているのが、イタリア語っぽい。イタリア語はヨーロッパの言語では、日本語のようにこういった対応がされている(ので発音しやすいらしい)言語である。
 ドイツ語は逆にこういった対応が少ない。関係ないけど、アラビア語ペルシャ語にいたっては対応どころか母音自体が、1,2個しかないのだが・・・。

 とすると、ドイツ人にとって、モモはかなりエキゾチックな感じのする名前だということがわかる。この本のなかには「ジジ」という名前だが、まだ若い男性も出てくる。(そういえば映画「魔女の宅急便」の黒猫も同名である)

 さて、モモはいわゆる「浮浪児」である。自分がいくつかも知らず、円形劇場跡に住みついた。

 近所の親切な人が相談し、施設に送り返したりせずに、住まわせてあげることにした。家の中をきれいにして、食べ物を少しずつもちよった。

 モモはラッキーな子である。

 そのお返しに近所の人にある特技を提供した。それはなにかといえば・・・

 それはまた今度。