踊らされない〜「自省録」を読みました。(2)

        マルクス・アウレーリウス  神谷美恵子 訳   岩波文庫

 テレビや様々なマスメディアで、食欲や性欲の刺激をもくろんでると思われる映像やら話やらを聞かない日はないだろう。

 「ほら、おいしそうな焼き肉ですね〜」(+焼き肉の焼ける時のおいしそうな音)
 →おいしい焼き肉を(うちのチェーン店で)食べよう

 「美味!天然うなぎ漁を全力生中継」(6/5のテレビ番組説明文より)
 →うなぎ食べたいでしょ?(うちのスーパーで買って!)
 
 CMにやたらと出るきれいな女性
 →コレを買えば、女の子にもてて、こ〜んな彼女できるかも(男性向け)

 ダイエットの話
 →やせたら彼氏ができるよ!(女性向け)


 などなど・・・。こういう例は、本当にきりがない。無意識の間にではあるが、こういう刺激は、私達に欲求不満を抱かせる。誰であれ、経済的な制約などから、おいしいものを好きなだけ食べ、理想にピッタリの1人もしくは複数の相手とラブラブな生活を送っている・・・なんてことはないからだ。

 そこを抑えるのがストア哲学の本領である。

 虚飾に満ち、こういった誘惑の数多いローマ帝国の宮廷で(何しろ、寝転がって2.3時間くらいかけてフルコースを食べ、お腹いっぱいになるとくじゃくの羽をのどにつっこんで吐いてから、また、食べたというものすごい話がのこっているくらいてある)、ストア派の哲学者である皇帝マルクス・アウレーリウスは自分に言い聞かせる。

 食べ物がなんだ。

 動物の死体じゃないか。

 ワインがなんだ。

 ぶどうの汁だろ!

 

 これを応用するとこうなる。

 焼き肉・・・・牛の死体の一部。

 うなぎ・・・・魚の死体。


 セ○クスがなんだ。

 内部の摩擦といくらかの痙攣を伴う粘液の分泌だろ!


 ↑いや〜その通り。大変感動した。明確な定義である。(虫注:この定義部分は正確な引用である旨お断りさせていただく)

 そうだけど・・・なんか味気ないな・・・。

 しかし、このように虚飾をはぎとり、物の本質を見極めることは、非常に大切なことだと言う。
 そうかもしれない。
 大体の宣伝はその物の本質ではなく、些細なことに眼を向けるようにする。例えば、自動車は4つの車輪とエンジンをつけた移動手段にすぎないのに、「女性はかっこいい車を持っている男性に惹かれる」といった誤った観念を露骨には言わないもののほのめかす。シートやナビといった付属品に注目させるなどである。

 このように本質を鋭く見抜く観念について、マルクス・アウレリウスは言う。

 このような観念は物自体に到達しその中核を貫き、それらがいったい何であるかを判然とさせるが、ちょうどそのように君も一生を通じて行動すべきである。
 すなわち物事があまりにも信頼すべく見えるときにはこれを赤裸々の姿にしてそのとるに足らぬことを見きわめ、その(賞賛されるゆえんのもの)をはぎとってしまうべきである。
 なぜなら自負(虫注:プライド)はおそるべき詭弁家(きべんか)であって、君が価値ある仕事に従事しているつもりになりきっているときこそ、もっともこれにたぶらかされているのである。


  ◇     ◇      ◇

 いじめや様々なハラスメント、不当な仕打ちを他人から受けた場合の復讐の方法。

 実に簡潔だが深い。


 もっともよい復讐の方法は、自分まで同じような行為をしないことだ。


 ◇     ◇       ◇

 ところで、マルクス・アウレリウス自身はもちろん、クリスチャンではない。

 このころキリスト教自体はあったが、非合法な宗教団体にすぎなかった。キリスト教を合法化したのは、313年のことで、マルクス・アウレリウス帝の死後である。

 彼が信じていたのは、ローマ人や皇帝が代々信じてきた多神教である。ギリシャローマ神話を読めば、その神々について、今でも多少分かる。

 しかし、マルクス・アウレリウスの世界観は、非常に合理的かつ実際的であり、虫は共感を覚える。

 つまり、この宇宙や世界を見ると、星の運行から、一枚の葉っぱの葉脈の流れにいたるまで、自然が一定の秩序を持って構成している。この点、その通りではなかろうか。
 この秩序について、観察や実験で研究するのが、自然科学と言われる分野だろう。
 他方、自分自身の内部にも、自然は一定の秩序を与えており、これに従うべきだとするのが、マルクス・アウレリウスの世界観である。
 個々人、そして、多くの人間の内部や外側に現れる様々な現象を研究するのが社会科学であるとすれば、人間、人間たちの心や行動も自然に従うべきである。
 最近は「良心」という言葉でこれを指していると思われるが、マルクス・アウレリウス自身は「指導理性」という言葉を使っている。

 この世界観を表す言葉で、今回は終わりにしよう。なお、宇宙でもっとも優れたものとは、ローマの神々のなかでももっとも強いゼウス神のことと思われる。

 宇宙のなかでもっとも優れたものを尊べ。それがすべてを利用し、すべてを支配しているのである。同様に君のうちにあるもっとも優れたものを尊べ。それは前者と同じ性質のものである。なぜならば、ほかのすべてのものを利用するそのものが君の内にもあり、君の一生はそれによって支配されているのである。