本物とは何か〜「画商の罠」を読みました。
アーロン・エルキンズ 秋津知子 訳 ハヤカワ文庫
「今、私の手元にレンブラント(の絵)があるのだが、これをあげましょう」
こんな事言われて、断る正気の学芸員がいるだろうか。レンブラント!バロックを専門とする学芸員には、垂涎の品である。
一応確認するが、学芸員は、美術館や博物館に勤め、展示品の収集等などにあたる人である。クリス・ノーグレンはシアトル美術館の学芸員でバロック担当である。以前「一瞬の光」を紹介したクリス・ノーグレンシリーズの三作目である。
例え、その絵がレンブラントであるとを確信しているのが、持っている画商本人のみで、鑑定に出したことはなくとも。そして、科学的分析に出してはならず、5年間はレンブラントとして飾らなくてはいけない。さらに眼で真偽を確認するのに一週間しか時間をくれないとしても・・・。
ほんのちょっとでも、本物のレンブラントが手に入る可能性があるなら(しかもタダで)、受けるだろう。
では本物のレンブラントとは何か。
◇ ◇ ◇
この本に登場するロレンツォなる人物は、本物や偽物などない・・・などと言ってケムを巻く。美学でよく論じられるテーマだそうである。そこにある一枚の絵をいつだれが書いたものだろうとも、ピカソが書いたものでも、子どもが幼稚園で書いたものでも絵としての価値は、絵に内在するモノのみで判断すべきということなのだろう。めちゃくちゃなご意見である。
しかし、本当に有名な画家が書いた絵画なら、通常は本物というだろう。それに対して莫大な金額が支払われる。ロレンツォなる人物の意見も一理あるが、美術界に混乱をもたらす。
さて、本物があるとして、何を本物と呼ぶべきか。
本物でなかったら贋作に決まってる!・・・わけではないことがポイントである。
本物そっくりの絵を作ることは禁じられていないし、美術館で売られてさえいる。「模写」である。ニセモノの本物と呼ぶべきか。
禁止されているのは、「本物」として売ることだけである。
これで、本物でないものに2種類あることがわかる。1、偽作、つまりにせものとして売られているニセモノと、2、本物として売られている偽物である。違法なのは 2、だけである。
さらに創られた意図で分けることができる。イ、はじめから本物として売るつもりでつくられた偽物:これを贋作という。ロ、にせものとして売るつもりでつくられた偽物:こちらは偽作と呼ぶようだ。
注意すべきなのは、偽物として売るつもりでつくられたもの(と画家が主張しているもの)がいつのまにか、本物として売られるケースがあることだ。
【ニセモノについてのまとめ】
イ → 2、 :贋作(違法)
イ → 1、 :偽作(合法)
ロ → 1、 :偽作(合法)
ロ → 2、 :偽作(違法)
では本物とは何か。
特定の画家の作品とされているものだったら、その作家が描いたかどうかが本物かどうかの分かれ目だろう。
ボッティチェリの作品と紹介されたところで、キャンバスも真っ白の真新しい油絵なら、彼が描いたはずがあるわけない。
いわゆる美術鑑定家は、そういった材料を判断の対象としており、古い時代の画家ならそういった科学的分析がやはり確かである。
といっても100%ではない。同時代の似たような絵画を見つけて、署名だけをまねる方法もあるからだ。
クリスは、エル・グレコの偽物をその方法で造った例を作品のなかで挙げている。その偽作者は、誇らしげに、「エル・グレコ」という署名をいれた。くだんの画家は、ギリシャ出身であったことから、エル・グレコ(スペイン語でギリシャ人)という通称があったにすぎず、自分の作品はきちんと本名で署名を入れていたのだが・・・。
とすると、上手い下手を見ればよいのだろうか。
確かに美術史に名を残すような偉大な画家は上手い。原則として。
というのは、彼らだって人間であり、好調・不調の波があるからだ。
とすると、不調なときの本物の作品より、贋作のほうが出来がいいということもありうる。
それでも、その画家が描いた以上、本物である。
ただ、レンブラントについては、ちょっと事情が違う。レンブラントはゴッホのように生前は名を知られることなく、赤貧のうちに死んでいった画家とは違う。「成功した」画家だった。
これはどういうことかというと、自分で画を描いたのはもちろん、当代一流の画家をたくさん弟子として抱え、彼らの作品にも署名をして、自分の作品として売っているのだ。弟子の頭数頼りではあるが、明らかな大量生産体制。なかなか企業家精神に富んでいる。また、自分の関与の度合い(監督した、加筆した等)により、細かく料金表を作っていた。
だから、レンブラントに関しては、弟子が書き、それに本人が署名したものは「本物」である。
さて、レンブラントの「本物」とは何かをまとめるとこういうことになりそうである。
A:レンブラント本人が描いたもの →当然本物である
B:レンブラントの弟子が描き、それにレンブラントが監督・加筆などの関与を行ったもの →これも本物。
C:レンブラントの弟子が描き、レンブラントが承認してレンブラント作として売却したもの →本物。
D:レンブラントの弟子が描いたが、レンブラントの承認がないもの →偽物。
E:レンブラントとその弟子以外の者が描いたもの →偽物。
D、Eについては本人にレンブラントの作品として売却する意図があった場合は贋作となる。それにしても、CとDの差異などほとんどないから悩ましい。後世、Dを入手したものが、レンブラントの署名を偽造するだけで、値段が何倍にもはねあがるのであるから、学芸員には悩みのタネである。
◇ ◇ ◇
そこで、冒頭の申し出に戻る。
とりわけレンブラントに関しては、クリスが機械的方法によらず、眼力だけで本物と偽物を区別するのが、いかに大変かお分かりいただけただろう。冒頭の申し出をしたのは、フランスの画商であり、クリスはフランスに、飛ぶ。
ところがその画商が(いつものように)殺されて、殺人事件の捜査に巻き込まれる。なお、申し出は遺言になっていて、無効にならない。
ま〜殺人事件の内容や犯人については、読んでいただければ・・・
なお、その画商は、同時期にフランスの美術館にレジェを寄付していた。レンブラントと同じ条件で。彼自身、昔は絵を描いていて、後ほどわかるのだが、すばらしいテクニックをもっており、偽作者としての腕も確かだった。
この寄付は最後の「腕試し」だったようである。
レジェとレンブラント、どっちが本物か?この先に答えを書いておくので、その点の意外性を楽しみたい人は読まないほうがいいかもしれない。
答え、レジェが偽作で、レンブラントが本物(但し、弟子が描いたC)。
その画商自身の手による贋作で、レジェが飾ってあった部屋はわざと暑くしてあり、その寄付を「本物として」受け取った後に、レジェが剥がれ落ちて、その下に描かれている画商の肖像が現れる仕組みだった。なにやら油を塗るとこういったことが可能ならしい。
クリス、本物でよかったね〜。