教師の仕事〜「ルアン先生はへこたれない」を読みました。

             ルアン・ジョンソン  酒井洋子 訳   ハヤカワ文庫

 教師の仕事は細々(こまごま)とした知識を生徒に詰め込むことではない。

 生徒を愛することである。

「学校に来ている子に悪い子はいない」と自分に言い聞かせ(本当に悪い子は学校に来ないから)、次から次へと、生徒の身に起こるトラブルを心配する。どんなトラブルかといえば、ありとあらゆるトラブルである。家庭内暴力から、犯罪(生徒がおこしたもの、生徒が被害者なもの、その両方)から、貧しくて学校に来られないことや就職がみつからないことまで。

 あまりに生徒に入れ込むので、生徒達が卒業した後は、空っぽになった気がする。生徒達は先生の心の一部を奪い去る。自分の私生活も後回しである。

本書は、「ルアン先生にはさからうな」の続編である。
 海兵隊から、学校の先生に転職したルアン先生、「アカデミー・プログラム」という落ちこぼればかりを集めたクラスの担当になる。
 前作 「ルアン先生にはさからうな」では、その生徒たちを何とか救おうと悪戦苦闘する姿が描かれていた。
 ルアン先生の特徴は「生徒達を愛し」それを本人たちにも言う。ティーンエイジャーとしての面目をたてるため、一応嫌がるふりはするものの、次第に受け入れるようになる。

 授業中に寝た時の罰がユニークである。
「消えない口紅をつけてほっぺにキスをする。」
 とりわけ、男子生徒の嫌がること!面白いぐらいである。
 「だって、キミたち寝顔がかわいいんだもん。先生キスしたくなっちゃうよ。」

 他にも日誌を書かせて、毎日提出させて、生徒の個人的な問題の発見につとめる。落ちこぼれの原因は、生徒ではなく、生徒の家庭環境にあることが多い。他にうじゃうじゃ子どもがいて、弟妹の世話に忙しかったら、家で勉強できないのはもちろん、学校でも疲れているだろう。
 トルストイの言葉だと思うが、「幸福な家庭は似通っているが、不幸な家庭はそれぞれ違う」という言葉がある。
 落ちこぼれの原因は、それぞれ異なる。それをすこしずつでも発見し、取り除いていく。大変な仕事である。

 さらに、落ちこぼれになるのは、黒人や、ヒスパニックなどが多い。生徒達に差別に負けないようにハッパをかける。ルアン先生の教室では差別的発言を容認しない。

 劣等感を持つのは、
 自分がそれを承知するからだ

                       エリノア・ルーズベルト


 この言葉は、差別やいじめに対する最強の武器である。虫は、ずいぶん前に別の本でこの言葉を知ったが、未だにそう思う。
 つまり、もし、あなたが、「バカ」とか「ニガー」とか、差別的発言をされたとする。いじめでもある。
 その言葉に傷ついたとすれば、それは、あなたがその言葉に同意したからだ。「バカ」といわれ、「そうだ自分はバカなんだな」と思うと傷つく。「バカ」といわれても「なにいってんだよ」「バカというほうがバカ」と思えればなんとも感じない。
 この同意を与えないことが、最強の武器なのだ。
 それを子供達にわかりやすく教えて、子どもたちに自尊心をもたせる、ルアン先生、本当にすごい。

 本書では、前作では暴れまわる男子生徒にかくれがちだった、女子生徒たちにスポットを当てている。
 男子生徒が問題を起こし、花火のように散っていくとすると、女子生徒たちは、ひっそりと消えていく。前年度の女子生徒の卒業率(入学して、卒業までにいる確率)は、0%である。つまり、全消え。
 いじめや早すぎる結婚、妊娠によって、こっそり去っていく。

 それに、もともと、親が女の子に教育が必要ないと考えているところがある。移民などは、未だ男尊女卑の強いところから来ていて、抜け切れていない。だから、女の子自体は多いが、学校に来ない。来れない。

 人の注意をひかない女の子たちは、特に注意する必要がある。

 関心を持つ、それが愛なのだから。

 愛の反対は、嫌悪ではなく、無関心である。

 だから常に相手に関心を持つということが大切なのだと思う。