進取の気性〜「王女マメーリア」を読みました。(2)
この本の順番とちょっと前後するが、先に「王女マメーリア」について、書いておく。
表題作である。
だいたい、短編集の中の表題作というのは中でも、とりわけ出来が良く、特に印象深い作品であることが多い。少なくとも今まで読んだのはそうだった。
しかし、正直に言って、虫はこれを好かない。
「王女」などと、童話調であるが、子どもに読ませるべきモノではない。
それはこの前の「王女と密猟者」もそうである。
自分の子どもに、「どんな女もこの男の欲望を拒むことはできない」なんて王様が布告する本を読ませたいと思われるか?
どう見ても大人向きだろう。
「王女マメーリア」が嫌いなのは、「美しい=権力欲がある= 王位を狙う」 といった単純化がすぎるからである。美しいから権力欲を持ち、謙遜なままではいられないというのは、ちょっと単純化しすぎだと思う。短編なので、紙幅に余裕がないのかもしれないが。
一時期、星新一を読みあさったが、やはり短編っていうか短すぎるので、時々、この手の単純化が鼻についたことを思い出す。
単純に短編はあまり好きではないということなのかもしれない。
他のダール作品(たしかオズワルドおじさん)を読んだ感想とも重なるが、なんというか、空想的なウェールズ人らしい自由奔放な部分が、この人の作品にはある。性に関しても、オープンすぎる・・・。権力者や美人に対する態度は露骨にヤキモチである。いかにもケルト系らしいというか。
この作家をウェールズ人とばかり思っていた。ウェールズも他のケルト系のアイルランド、スコットランドと同じく、妖精話など伝説が豊富だからである。ほら話というか・・・。解説を見ると、ウェールズ出身であることは確かなようだが、両親はノルウェー人らしい、ま、北欧も神話が豊富だが。
もっとも、「王女と密猟者」にあるように、男も女も見た目の良い(美しい)同性を嫌うものというのはその通り。これは真実である。
◇ ◇ ◇
虫は、古本屋もたまに行く。ブック・オフのような、売れ筋かどうかをマニュアル化し(おかげでいい本が安く入手できることがある)、あとは見た目だけで判断するようなところではない。(ブック・オフにも行くが)
偏屈なおやじが本を読み、ただでさえ狭い店が、いたるところに本がびっしりつまっており、古本のかびくさくて、ちょっと甘い香りがする、古本屋である。東京でいうと、神田や早稲田あたりに多い。
こういった店は、本屋で採算が取れているのだろうかと他人事ながら、気になる。
おそらくロアルド・ダールもそんな思いを抱き、古本屋に行って、この短編のヒントを得たのではないだろうか。
やはり、カビ臭い店、本を買いに行くと(しかもそのレジが見つかりにくい)、「仕事」の邪魔をすんな!といわんばかりにめんどくさそうに対応してくれるバゲージ氏の古本屋の話っである。
この店はバゲージ氏とトトル嬢の二人の店員で運営しているが、トトル嬢しか客の相手はしない。まるで、万引きするなら、上手くやってね。といわんばかりである。
この古本屋の裏商売、新聞で死亡記事を見ると、その未亡人に請求書を送りつけるというモノである。いわゆるエロ本の・・・。
とりわけ社会的地位のある(公爵とか?)人の。
請求どおりお金を払わないにしても、特に調べたりはしない。・・・上手い手口である。
最後にうっかり故人が全盲なのに送ってバレるが。
「古本屋」
◇ ◇ ◇
ENTERPRISE、つまり事業という英語には進取の気性という意味もある。
経済的に、自由競争社会なのが日本を含めた西側諸国である。
とすれば、目はしのきく若者が、起業のチャンスを見逃さず、新規事業をたちあげるのは喜ばしいことである。そうは思われないか。
実際、けっこういいアイディアだと思う。
合法的かどうかは、ちょっとあやしげだが。
“復讐するは我にあり”会社は、あるコラムニストの記事からはじまった。
その記事は金持ちのスキャンダルを暴くもので、何人かの金持ちが、その鋭い舌鋒の犠牲となっていた。
この会社は、その犠牲になった金持ちの依頼で、「復讐」する。鼻っ柱をなぐることから、すっぱだかで、大通りに置き去りにすることまで、値段表を作って。
いろんな人から恨みをかっている場合は、ひと殴りで、二つ以上の依頼を満足させることができる。一石二鳥とはこのことである。
しかもこれが大当たり。イヤな相手にいやがらせをしたい、そのために金を払ってもいいという人は多かったのだ。うっかり殺さないように注意したほうがいいとは思うが。
「“復讐するは我にあり”会社」