宇宙人と自分〜「なぜ人はエイリアンに誘拐されたと思うのか」を読みました。
スーザン・A・クランシー 林 雅代 (訳) 早川書房
かなり前のことだが・・・。
「宇宙人ていると思う?」
と友人に聞かれて、即座に、絶対的な自信を持って答えた。
「いる!」
「えー!絶対?絶対いる?」なんか嬉しそう。
「うん。絶対いる。」
「なんで〜、根拠は?」
「だって、地球人も宇宙人でしょ。宇宙にいるんだから」(キミもワタシも宇宙人〜〜)
「・・・・」
この完璧な論理にタジタジになったようで、しばらくして話し出した時は、ちょっとテンションが下がっていた。
「地球人以外では?」
「そりゃ、いるかいないかはわかんないけどね・・・。」
「うん?」
「でも、《人》かどうかの定義が難しいよね。」
おずおずした感じで、「知的生命体ってことで・・・」(何かの取引か!)
「そうするとさ」と虫が言う。「今度は何をもって《知的》とするのかが問題じゃない?」
「・・・」
「ま、知的かどうかはわからないけど、火星に何か生命体がいたらしいことは、NASAが発表してるよね。」
◇ ◇ ◇
かくのごとく、宇宙人の存在を主張する人はけっこう多い。
とりわけ、アメリカでは、宇宙人の存在を主張するのみならず、宇宙人によって誘拐されたと主張する人が多いらしい。
「Xーファイル」の影響だろうか。「メンインブラック」や、アメリカの三流新聞(宇宙人ネタ多数)のB級文化の影響を感じる。これは別の本になるが、「嘘じゃないんだ!」という推理小説では、その手の新聞社に就職した女性が主人公になっていて、面白い。これはたしかウェストレイクの作品である。
この本はハーバード大学に在籍する心理学者であるクランシー氏が、宇宙人に誘拐されたと主張し、信じている人々の心理についての研究をまとめたものである。
もちろん、このクランシー氏がそんなことを信じているわけではない。もっとも、「信じてない」ことをあからさまに言って、「誘拐された」人々を傷つけることは避けている。結局、人は自分の信じたいことを信じるわけであるし。
ついでにいえば、虫も、宇宙人が存在する可能性自体はあると思うが、「それが地球人(のなかでも誘拐されたと主張するアナタ)を監視しており、誘拐して、精子や卵子を採取し、また、家に返した」なんてことは到底信じられない。ま〜面と向かってそれを言うかどうかは別だけど。
テレビや映画などに出てくる「宇宙人」は、2足歩行をし、どれも地球の「人間」に似過ぎていると思う。この宇宙人の存在や誘拐を主張する人達が本当に主張したいのは、宇宙の別個の知的生命体の悪行ではなく、他ならぬ自分自身や周囲の「人間」とのトラブルの投影であることは、さほど心理学を知らなくても推測できる。
百歩譲って、宇宙に高度に知的な生命体がいるとする。
その高度に知的な生命体が、宇宙人存在論者、「誘拐」経験者の言うように、地球人に異常な興味を示しているところがおかしい。地球に来られるぐらいの高度な文明を持っているなら、あきらかに、地球の文明より高度である。
人類で、ミジンコの生態に異常な興味を示す者がごく少数であることを考えると、遅れた文明に示す関心としては、宇宙人存在論者、「誘拐」経験者のいうほどの興味はないと考えるのが普通だろう。
きみたち、ちょっと、自意識過剰だよ!
証拠という面からみても、地球にいるなら、目撃者が皆無というのはおかしいし、UFOも今のところ、宇宙船と確認できるものはない。すくなくとも、客観的証拠としては不十分なものばかりであると思う。
しかも、この「誘拐」は、本人がされたという記憶がないのに、誘拐されたと主張する人が多い。
覚えてないのになんでそんなコト言うんだ?とクランシー氏は思う。
本人によると、宇宙人によって記憶を消されたためらしい。
あのね〜、宇宙人がなんで、地球人にどういわれるかをそんなに気にするのか・・・?んなわけがない。そんなに高度な文明を持ち、証拠を残さずに人一人誘拐できるのなら、その人が何を言っても相手にされないだろうってのは推測できるのではないだろうか。
本人が話す、「証拠」なるものは、「偶然」「そんな気がした」のオンパレードで、当然ながら客観的な証拠はない。
もちろん、「誘拐されなかった」ということを証明するのは難しい。
否定命題は証明できないからである。
では、無意識下では覚えているだろうから・・・と催眠術をためす。
実を言えば、この「エイリアンの誘拐」研究をはじめたのは、アメリカの心理学会で吹き荒れた嵐を回避するためである。この嵐は、虫も何となく聞いている。読んだことはないが、ダニエル・キイスなどの多重人格障害者の本がひところ流行った。そこで、多重人格の大きな原因は子どものころに受けた性的虐待だというのが、定説である。
ダニエル・キイスは読んでいないが、確かに親がカルトに入っていて、教団ぐるみで虐待をした結果、多くの人格をもつはめになった女性の話は読んだことはある。おそらく原因はそうであろう。そこの虐待は本当にひどかったので。
問題はそれをきっかけに、「性的虐待を受けたのに記憶が抑圧され、忘れた」のではないかと恐れる女性が、増えたことである。
いや〜〜、さすがに、性的虐待をする父親がそんなに多いとは、思えない。もちろん、もしあれば許せないが・・・これは微妙な問題である。
そういった女性が、催眠療法を受けて「性的虐待を思い出し」、父親にあらぬ疑いをかけるケースが多かったのだ。心理学界はこの話題をめぐって、論争が激しく渦巻き、さながら嵐であった。
著者も催眠療法を受けて「思い出した」。(性的虐待ではない。)しかしその記憶は、家族で検証してみると、細部が異なる。思い出した紫色のTシャツなど持っていないし、時系列的にありえない設定であった。つまり、催眠術によって、誘導されたのだ。しかし、その思い出はいかにも本当のように感じられ、強い感情を引き起こし、著者は知らず知らず、泣いていたという。
つまり、催眠療法中は無防備であるから、記憶を植えつけられやすいのだ。
それが強い感情を伴っているからといって、真実とはかぎらない。
本当のように、本人に思えても、本当とは限らない。
◇ ◇ ◇
幻肢(げんし)という現象をご存知だろうか。
戦争中、脚の切断をした兵士が覚えたことで有名になった。脚の切断をした人が覚える感覚である。まるで、まだアシがあるような感覚を覚え、しかも、そのアシがカユい。
もう、脚はないのだが・・・。
幻肢は、本人も目を下げれば、脚がないことが客観的にわかる。
しかし、エイリアンの誘拐はなかったことが客観的にわかりにくいのでやっかいである。
睡眠障害(日本でいう、金縛りである)、記憶のゆがみ、空想的傾向などで説明はつくと思われる。
エイリアンにさらわれるのは、不快な体験のように思われるが、実は幸福感を感じたのもこの時と「誘拐された」人たちは言う。
自分だけ、エイリアンに選ばれたのだという感じを覚えたそうで、エイリアンとの間に子どもがいると主張する向きもある。
誘拐されたことで、自分は生まれ変わり、自分はよりよくなったと言う。
そういうことなら、信じていても、害はないと思える。ただ、「電波」君、宇宙人にあれしろこれしろと電波で指令されるという人はあぶないが。たしか、そんな人が子どもを殺さなかったっけ?
「誘拐」がなんであれ、その人達にとっては、真実なのだ。何か、非常にショックを受けたことがあったのだ。
そしておそらく、その人の感情を「説明する話」が必要であり、その人達は、「宇宙人」に求めたのである。
そう考えると、フロイトが、その人がどうしてそういう精神状態になったのかを説明する「話」をつくるのと大差ないのではないかと著者は言う。
これこそ、人が心理療法を求めるゆえんである。パニック発作やうつ状態を無くしたいだけではなく、どうしてこういう問題をかかえるようになったのか、自分の覚えた感情の理由を知りたいのだ。その説明になる話をつくることは、ほとんどの人にとって大切なことだからである。
その話は必ずしも客観的に正しいものではない。また、その必要もない。
しかし、その人にとって、「物語として正しい」こと、その人にぴったりあうものでなくてはならない。
現代では、宗教を信じることは、「不合理的」とみなされることが多い。
宗教をヒトの主観的な心の中の領域に限定すれば、「不合理」と虫は思わないが、科学者の中には、そういう向きも多い。それに、虫の考えには主観と客観を峻別できるかという問題もある。
著者は、「誘拐」の話と「聖テレサの法悦」の話が似ていることを指摘し、常に合理的であることを求められる現代社会において、「宇宙人の誘拐」は「神の試練」を表現しているのではないかという。宗教の現代版である。
へー。