光が濃いと闇も濃い〜「一瞬の光」を読みました。(2)
アーロン・エルキンズ 秋津知子訳 ミステリアス・プレス ハヤカワ文庫
イタリアでのこと。ある女性が、食事のため、自分の小型車をレストランの前に駐車して、食事を食べていた。レストランの中から、ガラス張りの壁ごしに、彼女はとんでもないものを見てしまった。
なんだと思われるか。
なんと彼女の車を6人の屈強な男たちが、手で持ってどこかへ運ぼうとしていたのである!
それを自分の目で見ながらどうすることもできなかった。
というのが、クリス・ノーグレンがおとずれたイタリア人とアメリカ人(ただし彼女は半分イタリア系)のカップルにきかされた話である。
ドロボウ天国・・・残念ながらそれがイタリアである。
この女性のようになりたくない場合は、通りでたむろしているそこらへんの悪ガキに「見張り代」をやる。あるいは、悪ガキの請求に応える。その悪ガキが大きくなって、「組織」に入る。こうして、「マフィア文化」がえんえんと守られていくわけである。
クリスのイタリア道中はどんな具合だろうか。
マフィアの手下と思われる二人に前回登場したマックス・キャボット(イタリア国籍をとって正式にマッシミリアーノ・カボートになることを考慮していた)とともにかわいがられ、車でひかれたにしては奇跡的に軽傷ですんだクリスは、それにもかかわらず、イタリア警察に協力を申し出る。・・・少しは、自分の身をまもることも考えたほうがよいのでは?
絵画の購入のためシチリアに飛び、そこでこんどはシチリア・マフィアとおめもじする。イタリア人とアメリカ人カップルとともに。そのイタリア人が会話のなかで何回も言及していた“政治家”とはマフィアのことだった!それぐらいマフィアはイタリア社会に浸透しているのだろうか。
そのマフィアから、シルベスター・スタローンが親戚だというどうでもよい話を聞く。
ま、最後には絵画の取り返しと犯人逮捕(これはおまけ)に立会い、めでたしめでたし。
それはそうと、虫もずっとむかしローマに行った時、家族の者がスリにあった。
一応、警察に届けにいくと、おしゃべりに夢中でやる気なさげな窓口のおまわりさんに、「届けだしてね」でおしまいだった。
その届の書類が3種類あり、イタリア語、英語と・・・日本語だった。
日本のみなさんの被害のほどがしのばれる。
くれぐれもお気をつけ願いたい。
この本の題名は、フラゴナールの作品について、絵画の所有者でとても醜い女性、クララ・ゴーツィと話しあう場面から来ている。
美しい陽射しは毎日見るが、それをキャンパスの上に表現することは容易ではない。
絵画芸術は心からの敬意をあらわすに値すると思う。他の場面で、絵の真贋の見分け方の話になったとき、「ルノアールは見ればわかる。それを見ると気が遠くなるから」といった評論家の話が紹介されているが、良い絵画は、心に直接何かをあたえてくれるような気がする。良い音楽と同様である。言葉で表現するのは難しい。
でも心の栄養だと思う、その点では読書と一緒かもしれない。
好きな絵、良い絵を見るといつまででも立ち尽くしていたくなる。虫もフラゴナールは好きである・・・少なくとも見た事あるのは気に入った。もっとも一番好きなのはコローだと思うが。
その場面を引用して、終わりにしよう。
この絵を、私たちはしばらく眺めていた。「この絵の陽射しが好きなの」クララはいった。「カラヴァッジョ風に光が満ち溢れているというのじゃなくて・・・どういったらいいのかしら、クリストファー?」
「一瞬のきらめき」ちょっと考えてわたしは言った。「本物の陽射しが、本物の水や、本物の木々を照らしたときのように。物自体が発する光ではなくて反射した光。見る者にまるで自分がその位置に立ったからそう見えるかのように感じさせる。どうしてそんなふうに描けたのか、よくわかりませんが」