試練と変身〜「カエルも愛せば王子になれる」を読みました。〜その7
スティーヴン・ミッチェル(著) 安藤由紀子(訳) アーティストハウス
ま〜、続きといっても、大方の予想通り。
前回お姫様が、かべにむかって、上野投手よろしく(ただし野球のフォームで)カエルを投げつけた。
その後は、グリムの原作通りである。
壁にぶつかったとたん、カエルは世にもハンサムで知的ですらりとした脚をし、そのうえ礼儀正しく気高いフランスの王子に変身する。シンプルだがエレガントな黒いベルベットのスーツに身を包んだ彼は技をきわめた体操選手さながらに、2本の足で、ぴたりとポーズを決めて着地する。
カエル・・・いや失礼、王子は“美しく優しい目”をきらきらさせて感謝の意を伝える。そして、そのままなにも言わず、姫君をさっと抱えあげるとベッドに運び、長いキスをする。
この先は慣例にしたがってフェイドアウトしたほうがよさそうである。
◇ ◇ ◇
・・・それにしても。
どうしてキスではダメだったのだろうか。どうして壁に投げつける必要があったのか?
性差を感じる。
眠り姫や白雪姫は、キスだけでOKなのに、カエルの王子様はダメだった。
男女は平等なはずである。なんで、男ばっかり、ドラゴンやら鬼やらを退治して、彼女にふさわしいことを証明しなくてはいけないのか。試練が必要なのか。
そんなの、ヤだ。めんどい。
話はちょっとそれるが、最近、特に某タレントの飲酒騒動の後、「草食系男子」なる言葉が流行っている。
女性に露骨に興味を示さない若い世代の男性一般のようである。では肉は食わないか、女の子は嫌いかといえば、そうでもない。
ただ、「女性を落とす」ためには、他の男性と競争的にならなくてはならない。お姫様を得るために、お金や社会的地位(責任・・・とか?)が必要であり、ドラゴンや鬼やらを倒して、不可能を可能にしなければならない。(少なくともそう見せなくてはならない)
「草食系男子」は、それがイヤだから、興味を示さないことで、防衛しているように思える。ドラゴン退治は、社会の若い男性に対する圧力であり、無意識のうちにではあるが、若い男の子達はわかっていて、これに反発しているのだ。
「そんなの、ヤだ。めんどい。」と。
無理もない。
火を吹く巨大なドラゴンに、人間が勝てるわけない。
そんな無理をしなくても、食うに困らない。
家庭で甘やかされた男の子たちに、「肉食」になれという方が無理がある。
リアルな女性でなくとも、代替品はたくさんある。
あえていえば、「カエル化現象」とも言うべきか。古い言葉を使えば、「男」になりたい。という切実な要求は今は見当たらない。カエルでけっこう。
しかし、おとぎ話の世界では、王子様が主人公の場合は必ず、ドラゴン退治や鬼退治、あるいは、この話のように壁に投げつけられること、(そんなことできっこない)と思われることを、お姫様のためにする。その過程で、(彼女のためなら、死んでもいい)と思う。しかし、それがうまくいって、お姫様をGETする。
お姫様のほうも、苦労をしないわけではない。残念ながら、生きる上で、苦労は絶えない。白雪姫やシンデレラをみると、特に母親との関係での苦労が多いことがわかる。子ども向け版の童話では「継母」になっているが、モトはすべて実の母親であったようである。
最近はその点の男女の平等に考慮した「アリーテ姫の冒険」という子供向けの話もあるし、中近東の昔話で、王様から、着の身着のまま、追い出されたお姫様が、無一文から働いてもっとリッチな王国をつくってしまうというこれまたすごい、立身出世物がある。
しかし、お姫様の苦労は、王子様を得ることとは、あまり関係ない。このカエル王子のお姫様が、思案の末にカエルを投げるのが近いかなという程度である。グリム童話では、「腹を立てて」投げつけたのだし・・・。
やはり、違うと思う。
王子様たちは、一人前になって、お姫様を得るためには、どうしても試練が必要なのだ、と元型は言っているように思える。
壁に投げつけられなくとも、「普通だったらぜったいできない」と思われるドラゴンや鬼退治を王子様たちは必ず課せられる。西欧の王子様しかり、日本の一寸法師もそうである。ま、RPGを遊んだことがあれば、常識だろう。
この試練と、お姫様をGETすることは、つながっている。
男の子が一人前になって、女性を得るためにはどうしても、自己実現が必要であり、それは、一見困難な、不可能とも思える試練を乗り越えることによってしか得られないということを様々な形であらわしているようにも思える。
オーストラリアだったろうか。どこかは覚えていないが、一時流行したバンジージャンプのもともとの起源は、ある部族の成人儀式からきている。腰につたを結びつけただけの状態で高いところから飛び降りるのである。安全性が確保されているバンジージャンプと異なり、つたが伸びきったり、切れたりして、死者が出ている儀式である。もちろん受けるのは男性だけだ。
ネットで調べたら、バヌアツの通過儀礼で、一生に一度どころか、毎年やっているらしい。「ナゴール」という儀式である。
たしかに、理不尽ではある。
・・・しかし・・・これだけ、世界各地の昔話で、「元型」となり、RPGの定番になっているのには、やはり心理的な理由があると虫は思う。
男性の「自己実現」のためには、愛する女性(同性愛の場合は男性)のために課せられた試練を乗り越えるという「性衝動の昇華」が最も強力な動機付けであり、その燃えるような情熱があってこそ、不可能が可能になるのではなかろうか。
実際、以前、アメリカで本であるが、お金持ちの多くの人にインタビューをした本を読んだが、ハリウッドなどの「あぶく銭をつかんだ」一部を除き、お金持ちは、安定した結婚生活を送っており、一人の配偶者と幸せな結婚生活を送っていることが多い。
以前この日記でも紹介したが、ハインリヒ・シュリーマンの成功の源は、ミナという幼なじみの女性である。残念ながら、結婚はできなかったが。しかし、ミナに値する「男」になりたいという思いが、何ヶ国語も習得し、大金持ちになり、トロイアを発掘した原動力になったのである。
もし、成功したいなら、お姫さまを見つけることである。
お姫さまは簡単に手に入らないし、試練を課す。
しかし、そういう「厳しい」恋愛こそ、自己実現、つまり精神的成長に欠かせないと思う。それに、苦労して手に入れた分、果実を甘く感じる。
個人的に、対照的だなぁと思うのが、「浦島太郎」である。「一寸法師」は鬼をやっつけないと、大きくなれず、お姫様も相手にしなかった。(可愛がるのはペットとしてである)しかし、浦島太郎では、竜宮城という天国のようなところで、乙姫様と楽しんだ。亀を助けたぐらいでは、試練とはいえまい。
しかし、結末はご存知の通りである。
簡単な、その場限りの恋愛がもたらすのは、そういうことではないかなと思う。
ま、どちらを選ぶかは、当人次第だが。
◇ ◇ ◇
以上は男性側の視点での検討である。
女性側から見てどうか。
実は「草食系男子」がはびこるのには、女性の側にも問題があるように思う。
ひと言でいえば、女性が男性を甘やかしすぎるのだ。
日本の親子関係は「母ー息子」ラインが基本であり、母親が息子を甘やかすパターンが多い。そのため、昔の武家などでは、ある年齢以上になると、息子を母親から引き離して、父親がその教育にあたった。
日本の女性の多くは、これを男女関係に持ち込み、捨てられるのを恐れて、彼氏を甘やかしすぎる。
投げないのだ。
そうそう、「投げる」行為って具体的に、どういうことなんだろう。
この後、実際、の「元カエル」の現王子様のインタビューがある。
だから、実際に投げたお姫様がいると思うのだが、具体的にどういったコトをしたのかがよくわからない。それぞれのカップルの状況にもよると思う。が、この本の内容からして、次の要件を充たすものではないだろうか。
- カエルを壁に強く投げつければ、普通はどんな結果になるかは誰でも知っている。つまり、そんなこと到底不可能だと誰もが思うようなこと。試練。
- もはや、カエルとしての同一性を保つのが不可能なこと。
- お姫さまとしても、カエルを失うリスクの大きいこと。
- カエルとしては、もっとリスクが大きいこと。
彼氏を甘やかすことは、一見、いいことに思えるが、男性から自己実現の機会を奪っているのである。
それに、カエルのままの彼氏で満足できるか?いいや。ひそかに軽蔑している・・・と思う。
それに、投げるということは、手から離すこと、つまり、彼を失う危険が大きい。失うぐらいなら、カエルのままでいい。しがみつきたい。という女性が多いのではないか。実際、結婚をしていたり、彼氏がいることは、女性同士では大きなステータスである。たとえ、それがカエルでも。(カエルであっても、ちょっとグロいが、王子様に偽装できる)
(そんなカエルのままなら、喜んでくれてやるわ!)という気概、いい意味でのプライドがあったほうがいいと思う。
そういう、自信とプライドに満ちたカエル王子のお姫様タイプより、王子様候補とみれば、チヤホヤする乙姫様タイプの女性の方が、圧倒的に多い。
投げる勇気、もしくは怒りが必要である。
さもないと、王子様にはなれない。男性の自己実現は難しい。
乙姫様タイプは、どちらかといえば、男性に自己実現をしてほしくないのかもしれない。浦島太郎の何か(恐らく生気)を利用したいだけなのかも。男性を利用する女性というのは多い。男女の役割を固定化し、偏見を持っている女性はたいてい、男性を利用するもの:メシの種と考えているからね〜。
よく読むと、このカエル王子のお姫様、自立心に富んだ、自己実現を果たしている女性である。才色兼備で、姿の美しさは、心の美しさを象徴していると思われる。
まずは、自分を磨くことから・・・かな?
もう一回だけ、プロローグを書く予定。
ではでは。