お姫様の寝室で(2)〜「カエルも愛せば王子になれる」を読みました。〜その6
スティーヴン・ミッチェル(著) 安藤由紀子(訳) アーティストハウス
普通なら、寝室での描写がこれほど詳しいのはマレである。たいてい、最初のキスあたりでフェイドアウトし、安っぽいポルノ小説になることを避ける。
子ども向けのグリム童話ならなおさらだ。
しかし、このカップルは例外である。
なんせ、相手はカエルである!
どーせーというんじゃ!
二人きりになると、逆に気まずくなり、「彼がカエルである」という障害が大きく見える。
このヌメヌメした体に対する嫌悪感がお姫様には抑えられない。生理的なものである。カエルもそれを感じて、さらに不幸になる。
本当の姿を知っているからこそ、そのカエルっぷりが、じつにじつに、イタい・・・。痛々しくてとても見ていられない。カエルをカエルとして愛してはいるのだが、カエルの中にひそむ、真の自己、王子様も見えるのである。
この矛盾した感情を両方とも、常に感じるのである。
(そんなのは、本当のあなたじゃないでしょ!)と言いたいが、言ってどうなる・・・?
カエルのせいではない。悪い魔法のせいなのだ。
しかも、キスでも解けない・・・。
「王子様ではなくて、本当にカエルなのかしら・・・?」とお姫様は、思っただろうか?これは書いてないけど。
一瞬か二瞬ぐらいは思ったんじゃないかな?と虫は思う。
カエル自身が明確に、王子様であることを否定した後とかに。
それでも、カエルが王子様であるという信念はお姫様を去らなかった。客観的にみてカエルでも。本人が否定しても。
◇ ◇ ◇
そこで、お姫様の寝室で、可愛らしい装飾の大きいベッドのへりに二人並んですわり、ともにみじめな思いをしていた。前回と同じく。
しかし、前回よりさらにさらに、追い詰められた。
どうすればいいんだろう。何か手はあるはず。魔法を解くなにかいい手が・・・。
思い切った手をうたなければならない。
絶対どこかに答えはあるはず。
ハッピーエンドが近づいているというのに、二人は絶望に溺れていた。あらゆることを考えつくし、心が疲れて、もうなにもしたくなかった。
どうしたらいい?
◇ ◇ ◇
やがて、お姫様の心に中でなにかが動いた。
思いやりと憐れみはしばしば混同される。思いやりは愛のひとつの形であり、憐れみは軽蔑のひとつの形なのに。
思いやりは弁解も正当化も人格も超えて、私たちの真実の姿を見てとる。
思いやりは冷酷である。
◇ ◇ ◇
ちょっと引用が長くなるかもしれない。
「わかったわ!」姫君の背筋がすっとのびた。「答えがわかったのよ!」その顔には固い決意が表れていた。
「本当ですか?そりゃ、すごい。聞かせてください」
「信じられないわ!考えてみれば、これしかないのよ!聞いて。あなたがしなければならないのは私を完全に信じること。私がしなければいけないのは、あなたを手にとって壁に投げつけること」
カエルはごくりと唾をのんだ。
「これしか方法はないわ」姫君の口調には疑問のかけらすらうかがえなかった。
「でも、もしかしてちょっと・・・強引すぎる方法なのでは?」
「たしかに強引よ。でも効き目はあるはず。ぜったいにあるわ。それに他に方法がないじゃない。」
「私としばらく一緒に暮らしてみるというのはどうでしょう?そのあいだに少しずつあなたの幻想を吸収すれば、たぶん自分を解放できるのではないかと。もしそれでだめならそのときは強引な方法を試してみましょう」
「ううん、それじゃだめだと思うの。だって、カエルの寿命ってどれくらい?六ヶ月?1年?」
「さぁ」
「まぁ、どっちみちそんなに長くないでしょ。時間をかけて、なんていっていると、結果が出る前にあなたが死んでしまうわ。それに、もしその方法が成功したとしても、そのときにはもうあなたが年寄りガエルになっていて、変身の結果が人間のおじいさんだとしたら、私にとってなんの意味があるっていうの?」
「なるほど」とカエル。
「どっちみちなにに関してでも鉄は熱いうちに打つのがいちばんなのよ」
「こんなことを言ってはなんですが、お姫さま、あなたは簡単におっしゃいますけど、それはあなたが打つ側だからです」
「まあ、たしかにそうね。それは認めるわ」
「もしその方法が上手くいかない場合、私は殺されるんですね?ずいぶんと強く投げつけるみたいじゃありませんか」
「満身の力をこめるわ。」
「だとしたら、私の命はありませんよ。壁についた赤いしみと折れた骨の山だけを残す運命です」
「ええ、もし失敗したらそうだわね。でも、もし成功すれば、もちろん、あなたは王子様になるわ。私の王子様」
「でも、その場合も私は生きていないわけです」
「たしかに、もはや今のあなたではなくなるわ・・・というか、もはやあなたが自分で考えているあなたではなくなる。どっちにしても、死ぬ覚悟はしてもらわないと」
「なんだかもう」カエルは目を閉じ、また開いた。「こわくてこわくて」
「こわがらなくても大丈夫よ、カエルさん。うまくいくにきまっているわ」
「でも、もしうまくいかなかったら?」
「もしうまくいかなかったとしても、カエルとしての六ヶ月の命を、私の愛する王子様であり夫としての50年の可能性とを交換するのよ。格調高い賭けでしょ。ぜひ思い切ってほしいわ」
カエルの顔がぱっと明るくなった。「私が何より望んでいるのはそれなのです。そのためなら喜んで死ぬつもりです。あなたの愛を勝ち得ることができるなら、命さえ惜しくありません」
「私を信じて。あなたは王子さまだってことについて、私の考えは正しかった。そうでしょ?」
「はい。そうだと思います」
「だったら、今度も正しいのよ」
「どうでしょうか。でも私はあなたを信じています」
「深く信じていれば、うまくいくはずだけど?」
「はい。でしたら、うまくいくはずです。あなたはこれですべてうまくいくと思っていらっしゃるのですよね?」
「もちろん、これですべてうまくいくわ」
「それなら問題ありません。決心がつきました。どうぞ私を手に持ってください」
「よかった。とても嬉しいわ」
「では・・・ではこうして顔をみるのもこれが最後ですね」
「そうね」
「最後のひとときを一緒に過ごしてもらえますか」
「ええ、もちろんよ」
姫君はカエルをそっと右手にのせた。ふたりはたがいの目をみつめあった。
「さようなら」カエルがいった。「あなたを愛しています」
「私もあなたを愛しているわ。だからこうしているの。あなた、まだ、こわい?」
「はい」
「私もちょっとこわいの」
「はぁ」
しばし間があった。
「覚悟はできた?」
「はい」
お姫様は、壁の近くにより、野球のピッチャーよろしく振りかぶって、満身の力をこめてスミレ色の壁めがけてカエルを投げた。
カエルは、お姫様の手のぬくもりが一瞬にして消え、空をきり、風がぴゅうっと周りで鳴っているのを感じた。心臓がどきどきした。「力を抜くんだ」と自分に言い聞かせた。今はただ、自分に真剣なまなざしをそそいでいる、彼女だけを感じていたかった。彼女だけに思いを集中したい。なんて美しいんだ。ああ、どうしようもなく彼女を愛している。
映画「グリーン・ディスティニー」の最後のシーンを思い出した。
「信は真に通ず」と言って、チャン・ツイィーが高い崖から飛び降りるシーンである。
信じる気持ちは時として、奇跡を起こす。
客観的に、第三者的視点からみれば、それは、カエルであり、お姫様のしていることは 動物虐待である。
だが、恋というのは、主観的な、狂信的なものである。
この続きは次回。