終わりのはじまり〜「最後のたたかい」を読みました。

             C・S・ルイス   瀬田貞二 訳   岩波少年文庫

  《ナルニア国物語 7》

 最終話である。

 前回の「魔術師のおい」で、ナルニアのはじまりを見たと思ったら、今度は、ナルニアが終わる。なくなる。

 このシリーズは昔も読んだはずなのだが、こんなほろ苦い感じではなかった気がする・・・。ハッピーエンドといえばハッピーエンドなのだが。

 今回も、引き続き聖書と比較する。今度はナルニアの話を最初にしよう。

 ☆  ☆  ☆

 大猿のヨコシマには、友達・・・というより何でもいう事をきく手下のようなロバのトマドイがいた。ある日、ライオンの毛皮を手に入れたヨコシマは、それをロバのヨコシマにかぶせてアスランのふりをさせ、ナルニアの動物たちをいいように支配する。動物たちはアスランの命令なら喜んできくからだ。

 ⇒最終話ということで、ヨハネの黙示録かな・・・と思ったが、そうではなかった。今回は聖書をそのまま引用する。マタイによる福音書第24章4節以下である。

また、オリブ山ですわっておられると、弟子たちがひそかにみもとにきて言った、「どうぞお話しください。いつ、そんなことが起こるのでしょうか。あなたがまたおいでになる時や、この世の終わりには、どんな前兆がありますか。」
 そこでイエスは答えて言われた。「人に惑わされないように気をつけなさい。多くの者がわたしを名乗って現れ、自分がキリストだと言って、多くの者を惑わすであろう。

 ☆  ☆  ☆

 その時のナルニアの王チリアンは、この偽のアスランが、物をいう木々を切ったり、小人を奴隷として売ったりするなど、暴虐を働くので、ショックを覚えるが、アスランを信じているために、アスラン代理人のふりをする大猿ヨコシマに捕らえられてしまう。ヨコシマは、敵国カロールメンと手を結び、ナルニアの物いう動物や植物たちを売り渡してしまう。ちなみに「銀のいす」で魔女のとりこになったリリアン王子はチリアンのひいおじいさんのひいおじいさんにあたる。

 このナルニアの危機に、アスランに助けを求めたチリアンは、人間界に助けを求め、「銀の椅子」のユースタスとジルが、まずやってくる。

 カロールメンは、タシという神様を信じ、何度もナルニアを征服しようとする敵国である。「馬と少年」に出てくる風俗からして、どうみてもイスラム圏のアラブの国が下敷きであろう。タシの神様にもお目にかかるが、頭が鳥なところとか、エジプトの神様を思わせる。

 カロールメンとナルニアの最後の戦いが始まる。

 しかし終わったのか?

 突然、アスランが現れ、ナルニアを畳みはじめる。前回、木々を生やしたり、太陽や月をつくったのの逆バージョンである。

 また、ユースタスとジルだけではない。

 歴代の主人公達、ポリーとディゴリー(ポリーおばさんとカーク教授になっている)、ピーター、エドマンド、ルーシー(スーザンは、俗世で忙しく「信じなくなった」のでいない)も現れる。

 この異世界の生き物たちは全て並んで、アスランの前に立ち、アスランにおそれとにくしみをおぼえるもほは左のドアに、おそれながらも愛する生き物は右のドアに入っていった。

 聖書にはこうある(マタイによる福音書25章33節)

 そしてすべての国民をその前に集めて、羊飼いが羊とやぎとを分けるように、彼らをより分け、羊を右に、やぎを左におくであろう。

 いうまでもないが、羊はクリスチャンのシンボルである。

 ☆  ☆  ☆

 そして、もちろん、ナルニアアスランを信じるものたちは、右のドアに行く。

 すると、そこには、本当のナルニアがある。

 歴代の主人公たちは、現実世界で、ナルニアを語る会のような集いをひらいていたのだが・・・アスランとの会話から、彼らが大きな事故に巻き込まれ、「死んでしまって」いたことがわかる。ちょっとほろ苦い。俗世では幸せになれなかったのかな。

 彼らは「本当のナルニア」で、いつまでも幸せにくらした。それは間違いない。

☆  ☆  ☆

 ところで、死んだ後の天国や極楽がどんなところか興味があるだろうか。

 日本では、仏さまが蓮の花に座っている・・ようなイメージである(虫の勝手な推測だが)。他方、キリスト教系の天国は、なんとなく、寝巻きみたいな白くて長い衣装を着て、ハーブを手にしている・・・ようなイメージである。映画とか、アンのシリーズのどれかで男の子が言ってたような。(女みたいに長い着物をきるのはイヤだから天国に行きたくないといって、親を困らせる)

 この本の天国は、魅力的である。

 生きていた時の光景とあまり変わらない。(確かに、死んだからといって新しい環境に慣れるのもイヤなんじゃないかな)
 ナルニア人の天国は「本当のナルニア
 イギリス人の天国は「本当のイギリス」である。
 おそらく日本人の天国は「本当の日本」だろう。

 現実の世界は、影の国。天国は「本当の世界」であり、まことのナルニアなのだ。

 ギリシャの哲学者、プラトンが主張したイデア論というのがある。全ての人、物にその真実の姿、イデアが内在するというのだ。

 そのイデアの国が天国なのだ。


 死んでからのことはわからないが、今まで、ぼんやりとしていた世界が、突然、焦点が定まり、はっきり見えるようになったという経験はないだろうか。

 虫は思うのだが、年を取って経験を積むと、見えやすくなるということが確かにあると思う。若い時ほど、一面的な、単純な物の見方をしがちである。

 この1〜2年に経験したことは、過去の人生に起こったことのイデアを発見することであった。この運命は予め定められていたとしか思えない。やっと真実を発見できた。ずうっとそこにあったのだが・・・。

 あ、天国はあなた自身の中にある、みたいな言葉が聖書にあった。