社会への復讐〜「アベンジャー型犯罪 秋葉原事件は警告する」を読みました。

                       岡田尊司       文春新書


  2008年6月8日、秋葉原で1人の若者が、トラックを運転して信号を無視して交差点をつっきり、次々と人を跳ね飛ばして殺した。さらにナイフを手に次々と通行人を刺していった。
 トラックのつっきりから警官に銃をつきつけられ、ナイフを手から離すまで、5分となかった。しかし、7人もの尊い命が奪われ、10人が重軽傷を負った。

 その若者は、25歳の派遣社員、加藤智大であった。「殺す相手はだれでもよかった」つまり、無差別殺人である。

 この秋葉原事件の犯人加藤智大は一応成人しているが、優等生転落型の少年犯罪に似ている。
 親に支配されてきた優等生が挫折してヴァーチャルな世界にのめりこむうちに攻撃的になり、その怒りを犯罪という形で爆発させたのである。
 こういう挫折や、傷ついた経験を社会のせいにして、社会に復讐する。コロンバイン高校乱射事件と同様、アべンジャー型犯罪(かたきうち)に分類されると、医療少年院に勤める精神分析医である筆者はいう。

アメリカでは、学校でのいじめに復讐するクラスルーム・アベンジャー、職場でのいじめに切れるワークプレイス・アベンジャーなどがある。

普通の犯罪は、例えば殺人にせよ、なんらかの事情で人を殺したいと考え、殺す。できればそれがバレて、「事件」になってほしくないと思うのが普通である。(だから死体を埋めたりして隠蔽しようとしたりする)
 ところがこのアベンジャー型犯罪は「事件」を起こそうとして事件を起こす。だから、マスコミに騒がれたり社会の注目の的になるのは、ある意味、目的を達成したといえるのである。この秋葉原事件も事件が起きる前から、ネットに犯人自ら「中継」して話題になった。

 もちろんこういった「事件」を犯した以上、極刑なら死刑にもなりうることもわかっていただろうと思う。もともとはエリートの、頭の良い人なのだ。いわば、他人を巻き込んだ自殺である。自殺衝動と他殺衝動は、実はつながっている。害したいのが自分か他人かというだけの違いだ。
 犯人は社会から受けたことに傷つき、(いじめや理解してもらえないこと)その復讐のために単なる自殺ではなく、「事件」をおこすことで、間接的に、いじめなどに関与した(あるいは犯人がそう考えている)人達に復讐しようとしているのだ。

 だったら、その「ひどい」人たちに直接すればいいのに。

 虫はそう思った。

 しかし、そのひどいことをした人達は家族や友人などの愛する人達である。ってか、愛情があるからこそ、そこまで傷ついたのだ。無関心な人からされても傷つかない。

 そして、直接するほど、憎みきれない。ひどいことをされたというのに愛しているのだ。ひといことっていうのは、無視されたり、あざけりわらわれたり・・・。やたら批判されたり。

 そのヤイバが、見知らぬ人にむかう・・・ハタ迷惑な!!


 この犯人は、母親に、エリート街道まっしぐらのときは、チヤホヤされてやたらと干渉された。(いわゆる過干渉でこれも問題)

 ところが、そこから外れた途端、無視。母親の注意は弟の方に行く。

 兄弟での露骨なえこひいき、子どもを利用してることがみえみえ。これはかわいそうである。

 とりわけ、チヤホヤ時代に、母親がいいなりになり、エゴを肥大化させてしまったため、人と接する時に、相手にに通常より自分に合わせてくれるように要求してしまう。それには付き合いきれないから、人が遠ざかる。

 ネットでもそういった言動が、反発を呼び、たたかれていたのが原因の一つだろう。ネットは、逆に容赦ないからね・・・。


  もちろん家庭ばかりでない。本人が自己愛型パーソナリティ、発達障害、共感性の乏しさといった問題をかかえていたのが、家庭の問題で悪化したのだ。(発達障害があっても、犯罪に走るとは限らない)


 また、暴力ゲームなどの中毒により、さらに悪化したといえるだろう。


 本人・家庭・社会に、それぞれこのような犯罪を作り出す要因があったといえる。


 現代では、家庭内や学校でのいじめ発生時に、十分被害者の子ども(または加害者・・・これも問題ある場合が多い)に話しを聞いてあげるといった場はほとんどないに等しい。家庭がこの役割をはたさない場合は社会的支援が必要である。核家族が当たり前になるとこういった問題が生じる。

この点、アメリカでの「ボストンの奇跡」が参考になる。

1992年に生じた少年による教会の葬式時の大量殺人をきっかけに、教会や各社社会団体が、コミュニティを再建し、犯罪や虐待をなくそうとする機運である。

 このときから、教会は非行少年が教会にくるのを待つのではなく、積極的に街に出て非行少年に働きかけを行う取り組みをはじめた。

 悲惨な虐待、犯罪の防止のため、親、教師、臨床心理士ソーシャルワーカー、宗教指導者、企業のリーダー、大学生、そして警察が、莫大な数のプログラムを組み、若者を受け続けたダメージから救おうとしたのである。

つまり若者が必要としている「監督を、枠組みを、指導を、そして未来への希望を」与えた。

 とりわけ、学校で親の代わりのしつけをどんどん肩代わりし始めた。

・・・わかってる。日本の先生は、手一杯だよね。お金もないし、時間もない。

 その人手不足を補ったのが、大学生などによるボランティアである。ボランティアによって行われる放課後スクールでは、単に子どもを預かって面倒をみるだけでなく、スポーツや技芸、演劇、趣味の活動など、非常に豊富なプログラムが用意され、子どもたちは夢中で取り組むようになった。

 
 日本では非行が多すぎて、全くの受身のままでも、親の虐待から身を守る施設は満杯状態と聞いた。

 虐待、非行、犯罪については、「発見・通報」だけではなく、積極的に問題を探し出さないと「奇跡」は起きない。ボストンでは増員により、効果をあげた。

 警察官をはじめ、ソーシャルワーカーなど関係者の増員は絶対必要である。

 かつ、ボランティアをうまく機能させる仕組みも必要である。


 犯罪って社会を映す鏡みたいなところもあるんだ。警報かな?

 だからちゃんと聞かないとね・・・。