女性蔑視の弊害〜「アラブの女  イラク女性の素顔」を読みました。

              サナ・エル・カヤット   鳥井千代香 訳  図書出版社


 50人ほどのイラク人女性とのインタビューを通して、アラブ女性の現在をさぐるものである。

 この手の本を読む前に予想したのは、イラク人女性は抑圧されていて不幸なんじゃないかな・・?というということであった。
 読んでみるとやっぱり、抑圧されていて不幸だった。

 一般にアラブ社会では女性の地位は低いと言われているが、やっぱりその通りだった。

 
  ☆     ☆    ☆

 アラブの女性の一生はどんなものだろう。

 生まれたとき、生まれてきたのが女の子だと分かると露骨にがっかりされる。インタビューされた女性の1人は、子どもを産むとき、夫に女の子だったら殺すとか捨てるとか言われたそうだ。後で冗談だと釈明しされたが。
 「まあ、お母さんが無事ならね」つまり、モトが無事なら男の子を産むこともできるよ・・と慰められる。
 これに対して男の子だと盛大にお祝いされる。

 小さい子供のうちは、自由にさせてもらえるが、だんだん成長して女性らしくなってくると家から出してもらえなくなる。客がくると隠される。無断外出の罰に、足に火傷をおわせるなど極端な体罰を受けることさえある。
 家から出してもらえないというのは、ちょっとすごい。
 万が一性的不品行があると、家の不名誉になるからだ。
 だから、可愛い服を着ることも、デートも禁止だ。
 とはいえ、小さい頃ならともかく男の子より成熟の早い女の子。異性に興味を持つのは、むしろ健全なのではないか。
 これは、サウジアラビアの話だが(この本ではなくて別の本で読んだ)16歳つまり、高校一年生ぐらいの女の子が、外国人男性とペッティングしたために、父親と兄弟が自動車に乗せ、その自動車ごとプールに沈めて殺したという話を聞いたことがある。ペッティングすら、「不品行」になるのだ。二人きりになった時点でアウトか・・・・相手に外国人を選んだのはアラブ人のコミュニティーにバレないためだろう。
 家の名誉を守るのは、父親や男の兄弟の役割なのだ。だから殺したのだろう・・・。

 それにしても、実の娘を、まだ16なのに。ひどい話である。

 そして、年頃になると、結婚するようにという圧力が家族からかかってくる。

 もし、独身を貫いても、独立して住むことは許されない。実家か兄弟の家に住み、肩身の狭い思いをすることになる。そのまま、社会的に黙殺される。

 しかし、結婚した女性たちへのインタビューもそんなに幸せそうではない。ほとんどの女性が結婚を後悔している。なかにははっきり、結婚は人生をめちゃくちゃにしたという女性もいる。
 なぜなら、恋愛などあろうはずもなく、たいがいは式当日にはじめて見る男性で、(こんな人やっぱりイヤ)と思っても、キャンセルすると「不名誉」(また出てきた)になるからできない。
 ほとんどの夫は権威主義的な暴君で、威張り散らす。やはり外出を許さない。家計費もろくに入れず、暴力をふるう。
 女性にとって結婚はそれほど重大なことではないようだ。人生で起きた重要な事に結婚を挙げる女性は少なかった。むしろ、子どもの誕生は多かったが。

 外で仕事をし(イラクでは働いている女性は多い、しかし仕事場以外には夫に行かせてもらえない。)帰ってきて家事を全てし(ほとんど全てである。夫に家事をさせるのは、メンツにかかわると思っている)、子どもの面倒をみる。イラクは砂漠地帯から砂ぼこりがはいり掃除は大変であるし、食事も1時間以上も調理にかかるものが多い。
 疲れはてる日々だろう。

 それでも、離婚といったことは考えない。「不名誉」だからだ。


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 ハードに働きつつも、女性は家に閉じ込められ、怯えて過ごす。自主性は全くなく、人の評判を異常に気にする。
とりわけ、夫には自分の個人的なことを話さないという人が多かった。つまり、我慢すべき「敵」というわけだ。
 夫婦の会話などなく、主人と奴隷である。ちゃんと話さないから、お互いのことも知らない。
 女性蔑視の一番の弊害は、女性が自分自身を蔑視する価値観を身につけてしまうということだろう。自分の価値を低くみてしまうので、新しいことなどに挑戦しない。
 閉じこもり、疲れ果て、そして孤独である。
 どうみても、幸せそうではない。


 男性たちもまた幸せそうではない。

 女性を蔑視することで、自分もまた「男らしさ」でしばられることになることに気付いていないのだ。家事や子育てを女性だけにさせることによって、家族と触れ合う喜びもなくなる。ほとんど、家に帰らない男が多いそうである。
 
 そして、アルコール依存症が多いことが、男性もまた不幸なことがすけて見える。アルコールはイスラム教で禁止されているはずなのだが、なぜかアラク酒という強い地酒が出回っているそうである。
 女性をパートナーとして尊重しなければ、幸せな結婚生活は望めない。日本もまだまだだが、アメリカ人の書いた本で、妻を一番の親友として紹介する男性の書き手からは、幸福感が伝わってくる。
 この中で登場するイラク人男性は、妻を召使兼性欲のはけぐちとして扱ったため、妻を本当に知る機会がなく、結果として孤独を感じているように見える。
 もう一つの弊害は・・・セックスも損なわれる。女性をよろこばせるという観点がないため、簡易な自己満足的なものになりがちである。女性たちは、性器以外の接触がほとんどないと言う。それでは満足もなかろう。

 やはりアラブの伝統的な価値観は、人の自由を阻害する面が大きいように思える。

 といっても、変えろと言われてもすぐには難しいかもしれない。大昔からの父権社会が残っているのだ。
 ご存知のように、アラブの人は牧畜産業が盛んで気候にも合っている。大草原は羊などを飼うのにピッタリの場所だ。牧畜は、力のいるハードな仕事で女性には難しい。だから、女性蔑視なのだろう。

 ちなみに、聖書なども父権社会の匂いがプンプンする。ユダヤ人(イエス・キリストも含む。神様とのハーフでもね)は牧畜をしていたからだ、新約聖書のイエスの例え話に「迷える子羊」みたいな牧畜っぽい話がでてくるのもそのためである。

 女性蔑視で問題なのは、ヴェールを強制するイスラム教・・・と思われるかもしれないが、そうではない。やはり昔から伝わるアラブ的な考え方の方が問題だと思う。

 イスラム教は、これをやわらげて、妻帯を4人以下に制限したし、しかも平等に愛するならばという条件つきであるから、神ならぬ人間である夫には出来ないから、1人だけと解釈する人もいる。他にも、女性の地位を強化したことがコーランに書かれている。

 もし、ムハンマドが現在現れたら、さらに女性の地位を引き上げているのではないか。ちなみにヴェールをしろなんて書かれていないそうである。「女性は慎み深く、胸を隠せ」だけである。

 ま、どっちも問題か〜。ムスリム、つまりイスラム教徒の反動的な連中がアラブの価値観と結びついているわけだから。
 根本的に女性憎悪があるような気がする。
 
 女性のスカートの長さとか、えんえんと議論しているヒマにもっと建設的なことをやれ!と思うのだが。


 社会の一部の人を不幸にするような仕組みは、他のメンバーにもはねかえる。とりわけ、性別のように、自分の意思で如何ともしがたい事情についての仕組みは特にそうである。「平等」というのはそれを防ぐための装置なのかもしれない。社会を構成する全ての人が可能な限り幸福であり、自らの可能性を追求できる社会を目指すべきである。

 イラクの女性達よ、もっと、誇りをもとう。それは、夫や父親や息子から与えられるものではない。
 生れ落ちたその日に神様から与えられる人間としての誇りだ。
 自分自身をいたわろう。あなたは、大きな水差しとして、家族のカップを満たし続けてきた。しかしまず、自分自身がみたされなければ、そそぐものがなくなる。
 むやみに恐がらないで、ゆったりかまえよう。

 そしてイラク人男性諸君!奥さんが手料理を作ってくれたら、一言でいいからほめてあげよう!

 「おいしそうだね」だけでもいい。
 
 そこから全てははじまる。友情が、愛が、希望が、そして新しい社会が。