子どもの涙の大きさ〜「飛ぶ教室」を読みました。

        ケストナー 作  若松宣子 訳 フジモトマサル 絵     偕成社  


 ・・・・泣ける。
 これを久しぶりに読んだら、かなり泣けた。

 ケストナーの子供向けの本である。子供向けの本が続いてしまったが、これは、大人になってから読んだ方が味わい深い。前回読んだ時はこれほど感動しなかった気がする。少なくとも実際には泣かなかった。

 子どもの悲しみがどうしてこれほど、泣けるのか。

 それは、自分が小さかったころ覚えた悲しみを思い出すからだろうか。子どもの純真さが、大人の悲しみより心をえぐるからだろうか。

 人生を楽しく幸せに過ごしたいけれど、人生は時として残酷である。大人に対しても、子どもに対しても。
 これは、クリスマスのころのギムナジウム(寄宿学校)を舞台とした男の子達のお話である。いろんな男の子がでてくるが、主人公ではないある男の子を紹介しよう。

 ヨナタン・トロッツはニューヨークで生まれた。父親はドイツ人で、母親はアメリカ人。二人はそりがあわず、母親は家を出て行ってしまった。4歳の時、父親はニューヨークの港のドイツ行きの蒸気船にヨナタンを連れて行った。そして船の切符を渡し、子供用の財布に10ドルをつっこみ、首にボール紙をかけた。ボール紙にはヨナタンの名前がかいてあった。父親は船長に、「この子をドイツまでよろしく!祖父母が迎えにきますから。」と言った。
 「おまかせください」と船長は答え、父親もいなくなった。
 船の上でヨナタンは可愛がられ、チョコレートをもらった。
 やがて、ドイツに着き、可愛がってくれた人は激励の言葉を残して船を降りた。
 船長とヨナタンは、手をつないでずっと待っていたが、誰も現れない。それもそのはずで、祖父母はずいぶん前に死んでしまっていた。父親はヨナタンがどうなるかなんてこれっぽっちも考えずに、ドイツにやったのだ。ただ、ほっぽりだしたくて。

 実の父親から、なんとヒドい仕打ちであろう。

 ヨナタンはその時は訳がわからなかったが、しばらくしてからたびたび泣いた。もちろんこの子は強い子だったのだが。


 なお、ヨナタンは船長の妹に引き取られ、10歳になってから、この話の舞台である、ギムナジウムに送られる。

  ☆     ☆     ☆

 この後、子どもだった時の事を忘れないで・・・とケストナーは頼む。どっかの「子供向けの」本みたいに子ども時代は楽しいことばかりのフワフワした綿菓子!のようなものではない。楽しいこともあるけど、つらいこともある。ケストナーは、第二次大戦中、ドイツにいて、ナチにちゃんと反対し続けた。(それで本を売れなくなったりした)つまりその時代の人だから、「本」だけど、マンガもテレビも映画も(ディズニーランドも!)「子ども向け」のメディアって大体そうである。今なお。

 誤魔化したりしないで、きちんと真実を伝えよう。子どもを見下したりせずに、大人に対してと同じく誠意を持って対応しよう。(大人に対しても誠意がないって、、そこまでは面倒みきれん)正義先生のように、生徒たちと向き合い、きちんと話そう。
 
 子どもたちには、楽しみながら、幸せで陽気でいてほしい。

 でも自分をごまかしてはいけないし、ごまかされてもいけない。

 悲しいことや失敗に立ち向かってはじめて強くなれるのだ。

 そして、知恵と勇気を持とう!

 これは、第二次大戦中にドイツに残り、ナチに立ち向かったケストナーの子供達へ、子供だった人達へのメッセージでもある。どれほどひどくても、真実と向き合おう。

 ケストナーがドイツに残ったのは、この本の最初の方にケストナー本人と共に出てきて、クリスマスの物語を書くようにせかす、年取ったお母さんが心配だったからである。


 ☆   ☆    ☆

 お母さんといえば、先ほどちょっと触れた、ギムナジウム(寄宿学校)の舎監の正義先生もかつて、ギムナジウムの生徒だった。(紹介せずに失礼した)
 ところが、お母さんが、重い病気で危篤状態になり、付き添うために学校を抜け出した。

 抜け出したことが見つかって、とがめられたが、お母さんの付き添いのためということを言わなかった。(あまりにも厳しくて、信頼関係ができていなかったのだ。)そこで、罰として、外出禁止が言い渡された。

 もちろん、次の日も抜け出した。そこでとうとう、部屋に閉じ込められた。

 しかし、やはり抜け出しているのがみつかり、その部屋には代わりに友達の男の子がいた。その子は、事情を先生に話し、それから罰を免れた。

 これは実際にケストナーが体験した少年時代の出来事を下敷きにしてるという。

 正義先生は、このお話を勝手に抜け出した生徒達に言い、子供がちゃんとそういうことの言える先生になろうと思って先生になったのだから、相談してほしいと訴えかける。
 子供達は、有史以来続いている実務学校の生徒たちとの闘争の一環で、人質をとられ、書き取りのノートを取られ(後に灰にされた)たので、タイマンのケンカやら雪合戦やらをするために出たのだが。(もちろん、正当だ!)

  他にも、背の小さい子をくずかごに入れてつるしたり(しかも先生がなかなか気付かないときている!)、「勇気」を証明するために校庭のはしごの上からこうもり傘ひとつでジャンプしたり(くずかごに入っていたのと同じ子である)、、、ま、子どもってね。

 関係ないが、虫のいた学校では、白いチョークの上に丁寧に赤などの色つきのチョークを塗ると、まるで色つきのチョークのように見えることが発見され(発見した子も知っている)、一時期かなり白チョークを色つきチョークにするいたずらが流行った。

 この話の主人公(やっと出てきた!)マルティンは、ご両親にクリスマスに帰省する費用を送る余裕がなく、(お父さんがケガで失業してしまったのだ)学校にのこるしか仕方なかった。

 帰りたい気持ちを必死におさえ、「泣くこと禁止!」(男の子だから)と自分にいいきかせるところが、逆に涙をそそる。ここで泣いたのははじめてかも。

 事情を聞いた正義先生は、マルティンに旅費をプレゼントする。

 正義先生の話を聞いて、マルティンヨナタンは、その身代わりの少年の見当がついたのだ。正義先生の本名を聞いてびくっとした、学校の近くの古い車両を改造したものに住んでいるので禁煙さんと呼ばれ、子供達がよく遊びに行く人だ。

 正義先生は旧友をプレゼントしてくれたお礼だという。

 マルティンがお父さん、お母さんと会うクリスマス!最高のプレゼントである。