指紋の歴史〜「指紋は知っていた」を読みました。

            C・セングープタ      平石律子訳           文春文庫


 指先の小さな模様・・・指紋が犯罪捜査で重要な役割を果たしているということは、虫のような推理小説好きでなくとも、一般に知られている。

 この模様は一人一人違い(一卵性双生児は例外かも)、一生かわらない(指をたくさん使うためすりへることはある)。
 
 同一人物かどうかを判明するのに最も良い方法でもある。

 しかし、指紋を収集・分類して、捜査に役立てるという現代の捜査方法が、大英帝国下のインドで発祥したことを知る人は少ない。

 インド人である著者が、その歴史を語っているのが本書である。

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 それにしても。

 身元の同一性をはかる必要が、インドではあった。

 だって、人の出生証明書を盗んでその人になりすましたり、お金をもらって刑務所に代わりに入ったり・・・するのが日常茶飯事なのだそうである。

 インド人、すげー。

 試験の替え玉は聞いたことあるけど、刑務所までね・・・。

 インド人は世界でもとりわけ弁が立つ人達だって聞いたけど、あることないことしゃべって相手を丸め込むってところかな。日本人のように、とりわけ弁がたたない人達からすると、うー、異星人みたいだ。

 考えてみれば、日本では、日本中でも日本語しかしゃべらないし、そこのコミュニティーに帰属しないと生きていけない。だから、管理も簡単だ。

 これに対して、インドでは、一応ヒンディー語公用語とされているが、100種類以上の言語がある。それに宗教もたくさんある、ヒンズー教が一番多いけど、イスラム教も多いし・・・だから、雑多な人達の間で揉まれて育っているはず。カースト制度もあり(差別という悪い面はともかく、別のコミュニティーである事は確か)、色々混じりあった中で、自分を押し出すにはやはり、弁が立ち、相手に気に入られたいという気持ちが先行して、虚言癖にまで高まるのであろうな。

 どちらかと言えば、やはり島国で、正直さを美徳と考えるイギリス人は、このインド人達を相手に苦労したらしく、マコーレーは「ベンガル人は二枚舌だ」と書いているそうだ。(ベンガル州は植民地時代に首都があった)この場合は根拠のない人種的偏見ではなく、おそらくさんざん騙された後の結論だろう。

 そういえば・・・。虫もインド料理屋で、インド人に勘定誤魔化された。二つ頼んだサラダの代金を水増しされた。一つは気付いて、訂正させた。「あ〜間違えて書いてました」なんて白々しいこと言ってた。もう一つは、見逃してしまった。出てから、気付いた・・・なんかくやしい!
 インド料理屋では、勘定を厳しくチェックしよう。

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 それはさておき。指紋が登場するまで、どうやって身元の同一性を判断していたか。

 まず、見た目である。

 犯罪者・・・つまり前科のある人を定期的に警察に出頭させて、警官に覚えさせたり、似顔絵や写真など。

 とはいえ、見た目だけだと、あいまいである。犯罪者が増えれば、警官も覚えられない。

 フランスでは、刑務所に来る囚人を歓迎する囚人のふりする警官を雇っていたそうだ。前も来ていたことがあると口をすべらせないかな〜と思って。

 次に採用されたのが、身体の大きさを測ったり、耳の特徴などをスケッチしておくこと。指紋採用前に広く使われたこの方式は、フランス人ベルティヨンによって確立された。ベルティヨン方式という。

 確かに、漠然を見るより、きちんと身長、頭や手の大きさを計ったほうが正確である。耳は、あまり気付かないが人それぞれにかなり違う。鼻の形などもごまかしにくい。人の観察には、そういった点をしっかり見るのは重要である。シャーロック・ホームズが、ベルティヨン氏を尊敬していたことは、ホームズ物に書かれている。

 しかし、成長期の未成年者は数値が変わることも簡単に予測できよう。身体的成長のみならず、事故や病気など、様々な事情で、数値は変わりうる。それに、いくら慎重に計測したとしても、人間の手で行われる計測には誤差がつきものである。相手が協力的でないならなおさらである。

 しかも、計測する部分も多く、パソコンのないこの時代にネックだったのが、同定に時間がかかったことである。
 今、1人の男が逮捕された。彼が前科があると分かるのは・・・8時間後である。

 もちろん、現在では、パソコンがこの欠陥を補うことができよう。

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 いよいよ、指紋の登場である。

 日本の大森貝塚からモースによって土器などが発見されたのは、ご存知の方も多いだろう。その土器が意味する、大昔の人間の生活ではなく、土器を作る過程でついたと思われる指のあと・・・つまり指紋に興味をひかれた男がいた。

 ヘンリー・フォールズという医師兼宣教師であった。彼は1874年日本に派遣され、東京築地病院で働き、医学生を指導した。
 土器の指紋をしげしげと眺めて、指紋は人によって違うかも・・と思いつき、カードにいろいろな人の指紋を集めはじめ、それをカードに記録した。

 それを1880年「ネイチャー」誌に論文として発表した。


 他にも、インドの官吏ハーシェル、フランシス・ゴールトン、などが重要な役割をはたした。

 しかし、収集した指紋を分類保存して、犯罪者の同定にあてる方法を確立したのは、なんといっても、ベンガル警察長官だったエドワード・ヘンリー卿と二人のインド人助手、アジズル・ハクとヘム・チャンドラ・ボースであろう。

 こでで簡単かつ正確に身元の同一性を確認することができた。

 そりゃ、100%ではない。しかし、手間ばかりかかるベルティヨン方式よりは断然いい。


 植民地時代のインドではイギリス本国より先んじて、指紋による登録制度が行われた。

 これは多分現代の日本でも反感をかうだろう。日本で指紋が管理されているのは、犯罪者と外国人だけである。この時代のイギリスと同じく。

 管理されるのは確かにイヤだけど、「信用できない」人が相手なら事情が違ってくる・・・。難しいところである。

 どう思いますか?

 ちなみに、この方もインド人だけど、「虚言癖」があるインド人が多いためなかなか信用されないと何度も書いてある。とくに、指紋の刑事裁判での証拠能力という点で、証拠を提出するのがインド人警官であるため、なかなか、証拠として採用されない傾向があったそうである。判事がイギリス人の場合。

 「何が、真実か」も文化によって違う面があるから、難しい。でも違う文化と出会うと、こちらも成長すると思う。イギリスも、おかげで、カレー粉とかウスターソースを手に入れたし。もちろん、インドを植民地にしたこと自体はよくないと思うけど。しかも、相手の事をよく知らずに、牛脂(牛はヒンズー教徒の禁じられた食べ物)とラード(豚はイスラム教徒の禁じられた食べ物)のついた薬包を食いちぎれなんて命令するから、反乱も起きるわけだ。

 インドの方も、鉄道や交通網といったことだけではなく、独立する過程で、イギリスより強くなり、インド人としての誇りを取り戻したとは言えるんじゃないかな。

 ではでは。