愛のおすそわけ〜「アンの愛の手紙」を読みました。

           モンゴメリ 中村佐喜子訳 角川文庫

 異性(ま、ほとんどは)に対する愛を恋愛といい、母親の子どもに対する愛を母性愛といい、友人に対する愛を友情と呼ぶ。
 呼びかたはいろいろあるが、本質においては同じものではないかと思う。
 愛・・・つまり相手を思い、相手に何か不足があれば喜んで身を差し出す。離れていれば会いたくてたまらないし、色々と相手を案じる。健康にさわりはないか、何か困っていないか。会えたときはこの上なく嬉しい。そういった感情の総称ではなかろうか。

 聖書にもあるように、人はパン、つまり食べ物だけで生きるものではない。他の人に認められ、愛し愛されることは、必要不可欠である。

 子どものころ、親が愛情を与えなかった子どもは、大きくなって、恋愛関係において問題を持つことが多い。虐待された子どもが、子どもを虐待してしまったり、恋愛で一歩踏み出せなかったりするのはそういうことらしい。

 虫は思うのだが、愛情欠乏症の子どもは、充分な愛情が与えられなかったので、単に、愛情を与えるまでにもてないのではないかと思う。充分な愛情が与えられれば、その愛情はどんどん増えて友情や恋愛など、人に与えるまでに増える。いうなれば、愛情合成能力を身につけるのだ。

 だから、愛情欠乏気味の家庭で育った場合、意識して愛情合成能力を高める必要がある。虐待されたにもかかわらず、よい親になった人はたくさんいる。そういう人は意識して愛情合成能力を高めたのだと思う。男の子だが、母親に、文字通り奴隷のような生活を強いられ、あげくに台所のガスコンロで焼き殺されるところだった少年の話を以前読んだ。確か題名が「IT」だったと思う。その子はなんとか虐待を生きのび、とても愛情深い父親になった。愛情合成能力を意識して高めた例だと思う。

 アン・シャーリィはグリーンゲイブルズにもらわれる前、食べ物は与えられたものの、愛情は全く与えられず、間違いなく、愛情欠乏症だった。
 グリーンゲイブルズで、マリラとマシュー・カスバート兄妹の愛情が与えられ、愛情欠乏症が治ったのである。
 そこで、愛情合成能力も育ち、隣の家の少女、ダイアナ・バーリィとの友情、やがては、ギルバート・ブライスとの恋愛に発展したのである。

 この「アンの愛の手紙」は、婚約中のアンからギルバートに送った手紙であるが、中学校の校長先生という新しい仕事や環境で、ギルバートを得たので、自分の愛情を存分に満たされたアンが、他の愛情欠乏症の人に、愛をおすそわけする様子が描かれている。

 それは、様々な恋愛相談に乗り、縁結びをかってでるという点に現れている。
 特に、駆け落ちの約束をしたのに、ぐずぐず言って相手を待たせている女の子を叱りつけて、駆け落ちさせるのなんか、ちょっと面白い。

 下宿先の隣の家の少女、エリザベスは祖母に育てられているのだが、間違いなく愛情欠乏症であった。その祖母もお手伝いの女性も厳格にすぎ、エリザベスのことを理解していないのである。
 アンが話し相手になって、エリザベスの父親に手紙を書いたため、やっと愛情深い父親を得ることが出来た。

 同僚の数学の先生、キャサリンもまた、愛情欠乏症であり、そのために、生徒や同僚に嫌われ、孤独な生活を送っていた。愛情欠乏症は、自分を大切にしない・・・周囲に対してもつっけんどんになったり服に気を使わないといった症状となる。
 しかし、アンが処方した強力なクスリ・・・グリーンゲイブルズ を服用すると、たちまち回復。
 本来合っていない教職を辞めて秘書として働きだした。恋愛も。

 こう考えると、アンはじつに名医である!!自分の治ゆ経験を生かして、愛と希望を人にもたらしているのだから。