忠犬物語・・・〜「動物に愛はあるかⅠ」を読みました。

           モーリス・バートン   垂水雄二☆訳   早川書房


 日本語のののしり言葉で、「ちくしょう」というのがある。
 英語の「F○CK YOU」に相当する。

 漢字で書くと、「畜生」、これは動物という意味である。

 どうも、日本人の考え方の奥深くには、「人間は動物より優れている。。」という考え方があるように思えるがどうだろうか。

 おそらく、仏教の影響だろう。仏教で生まれ変わりを信じる「輪廻転生」というのがある。これは、いいことをすると人間に生まれ変わり、悪いことをすると他の生き物に生まれ変わるというもの。
 生まれ変わりがあるかどうかはさておき、人間が他の動物や生き物より優れているということを証明するのは困難ではないかと思う。確かに、アメーバみたいな生き物より、人間は複雑である。でもなんで、複雑なのが優れているといえるんだろう?
 その優れている点として、「道具」(アリクイのつかう棒という反証がある)、「言語」(しかし多くの他の動物は言語によらないコミュニケーション手段を持つ。吠え声、しぐさや音波など)、「社会」(群れはまぎれもなく社会である。ボスや順位など人間社会と本質的に変わらない)などが挙げられる。そして(「これはないだろう!」と)最終手段のように挙げられるのが、家族愛や理想主義などに基づく「利他的行動」である。

 ところが!動物にも利他的行動はある。育児行動は典型であるが、他にもある。この本は動物の利他的行動の多くの実例を挙げたものである。

 「ちくしょう」のヴァリエーションで、とりわけ残忍な行為や非情な行為は、「犬畜生にも劣る」などとののしる言い方がある。しかし、渋谷のハチ公をはじめ、飼い主に忠実な犬の話は数多い。


 渋谷の待ち合わせ場所として有名なハチ公の銅像は、毎日、勤め先から帰るご主人を駅まで迎えにきていた犬のハチ公が、ご主人がなくなってしまったにもかかわらず、駅でずっと帰りを待っていたのが有名になって銅像が建てられたと聞く。エサは哀れに思った近所のお店の人がくれたそうである。

 
 この本にも、一頭のシェパードが、モスクワのヴヌコヴォ空港の近くで暮らしていた話が載っている。2年間、その犬は飛行機が着陸するたびにかけよってきたという。
 ハチ公と異なり、この飼い主はシベリアに引越しをしたのだが、必要な獣医の証明書を持っていなかったので、捨てたそうである。
 この話が1977年1月にコムソモルスカヤ・プラウダ紙に掲載された後、その犬に住みかを提供しようという手紙が三四七〇通も届いたそうである。

 さらにこの本にはディズニーによって映画化されたらしい有名な話がのっていた。
 一九世紀中ごろ、イギリスの農家に、ボビーという名のテリア種の犬がいた。ボビーは、オールド・ジョックと呼ばれていた羊飼いになつき、毎日仕事をしに丘にあがっていくのと、一週間に1回エディンバラ羊市場に行くのについて行った。
 やがて、オールド・ジョックは、身体を弱らせ仕事を引退したが、それでも、ボビーはついてきて、ジョックの家においてもらった。
 ある日、オールド・ジョックは死に、48時間後に近所の人に発見されたが、そのそばには、このテリアが死体を守って立っていたのである。
 オールド・ジョックはグレーフライアーズ教会の墓地に埋葬された。テリアは棺につきそっていたが葬儀が終わった後は墓地から追い払われた。墓地には犬は入れないことになっていたからだ。
 あたりが暗くなるとテリアは墓地にしのびこみ、主人の墓の近くで一晩中過ごした。
 それから、昼間はおっぱらわれるので、近くの墓にひそみ、夜は主人の墓のそばで過ごした。
 グレーフライアーズの食堂にお腹を空かせたボビーがあらわれ、哀れに思った主人が、体を洗ってエサをやった。しかし頑固に墓地に戻り、墓の管理人も根負けして認めるようになった。
 町中の野良犬を捕獲する命令が警察から出され、ボビーもつかまったが、この話を聞いたエディンバラ市長は、ボビーの鑑札代金を払い、「グレートフライアーズ・ボビー、1867年市長より認可済み」と刻んだ首輪を送った。
 ボビーは墓地に戻ることが許され、そこで、合計九年間を過ごした。


 こういった忠犬の話、飼い主と離れて、嘆き悲しむ犬たちの話は実に心をうつが、ちらっと、盲導犬などにとく使われるラブラトール・レトリーヴァーは飼い主に執着しないという話が載っていた。

 以前、コンラート・ローレンツの「ソロモンの指輪」をご紹介したかと思うが、その中の話でそれは説明がつくように思う。
 コンラート・ローレンツ博士によると、犬の血統には2種類あり、その一つがオオカミ系である。もう一つはハイエナ系だと思う、コヨーテかな?・・・何かは忘れた。そして、オオカミ系の犬は、たった一人の主人に忠義をつくす。日本犬はオオカミ系である。テリアもそう。シェパードは・・・どうだったかな。
 

 「犬は人のいう事を聞く」というのが一般通念だと思うが、オオカミ系は人の命令を必ずきくわけではない。聞かないというわけではないが、こっちに呼び寄せる命令をした場合、たまに面倒だと思うとテキトーにしっぽをふって誤魔化す。これにたいして、そうでない方は必ず飛んでくる。
 だが、オオカミ系は飼い主その人だけを敬愛している。昔の武士のように、その主人と離れ離れになったり、死に別れると、決して他の主人にはつかない。だから精神的な野良犬になる。至誠なんて言葉がぴったりである。その情愛のこまやかさはすばらしい。オオカミ系の犬の飼い主になる人はこの無私の愛にふさわしい飼い主になってほしいものだ。捨てたりせずに。

 これに対して、そうでない方の血統の犬は、人間なら誰でもOKである。シェパードはどうだかわすれたが、ラブラトール・レトリーヴァーは間違いなくそうである。
 命令は必ず聞くとか、こちらの血統にも、いいところはたくさんある。ローレンツ博士はそうでない血統の犬を、奥さんはオオカミ系の犬を飼っていて、お互いの犬をけなしあうのが夫婦喧嘩のタネだったそうである。

 
 ちょっと長くなったので、気絶している仲間を背中で押し上げて、海面につれていくイルカの話や、骨折した仲間を背中でささえてあげるゾウの話もしようと思っていたが、またの機会にする。イルカは哺乳類なので、息を吸うのに海面にいく必要があるし、ゾウは体重が重すぎるので、足の一本が折れると死んでしまうんだそうである。

 それではまた。