読むと見るとじゃ大違い〜「若草物語」(上・下)を読みました。

        オールコット・松本恵子訳    新潮文庫

もちろん、再読。なつかし〜い!

 南北戦争に出征した従軍牧師の父親の留守宅を母親とお手伝いさんのハンナと守る4人姉妹の日常・・というあらすじは有名である。

 ちょっと、教訓物語っぽい匂い、宗教的な匂いは感じるものの、ありのままの子どもたちの性格が素直に現れていて、それほど気にならない。うまくオブラートに包んである。

 この若草物語を通じて知った本もなつかしい。

 姉妹が興じた巡礼ごっこの元になる本も一度読んだ。

が、題名を忘れた。登場人物の名前が性格をあらわしている。例えば「虚栄心」さんがささやくと、「真心」さんが答えるといった具合である。

 ちなみに、ビジネス書で、コリン・ターナーという人が、この形式を借りて、「真の顧客サービス」をつかむまでの道のりをえがいた本がある。これは、最近読んだけど、この日記に書く前に図書館に返しちゃったので・・・。そう考えてくると、ビジネス書の求める「真のサービス」って、宗教的な「悟り」のようなものか。
うーん。「福音」かな?もともと、福音というのは、「良い知らせ」という意味。英語で、知らせをsoundというので、直訳したのだ。
 日本でも、たしかガンでだったか亡くなられた、女性歌手が歌っていたCMがおなじみの“Amazing Grace”という賛美歌。その中に“How sweet the sound!”という歌詞がある。NHKかなんかで、歌手の人が生でうたった時の字幕に「甘い音色!」とかなんとかあったけど、あれは間違い。福音(神の教え)が甘いという意味である。ちょっと思い出したので。

 でも、ビジネス書も宗教的な背景を感じるところがある。
 新興宗教の教祖の本って、(読まないけど)すごい金持ちになれるとか、ビジネス書っぽい体裁のものが多い。内容は読まないけど、想像はつく。これはかなり視野を狭くしそうである。あきらか〜に金儲け目的の新興宗教が多いのは、逆に日本ではちゃんとした宗教が頑張っていないからだと思う。

 誰でも、自分の生き方とか考えたことはあると思うし、人間の営みには宗教は切り離せないと思う。信仰をもつかどうかは別の話だが。残念ながら、日本の人は(全員ではないけど)、宗教を「願いをかなえる装置」のように狭く考えて、しかも、その装置にのっかるために視野を狭くするものだと思い、「自分は無宗教」だと言う人が多い。

 しかし、日本以外の国では、無宗教は少数派である。ヨーロッパでもアメリカでも、イスラム圏のアジアでも、「無宗教」=自分は人生のことを、いかに生きるべきかなんて考えたこともない。倫理的な基準なんて全くない人間なんです。と言っているのとほぼ同じである。

 実際は、「無宗教」な日本人もそんなにめちゃくちゃではない。生き方もそれなりに考えている。
 問題は、妙な宗教アレルギーであろう。もっとも、「宗教」を名乗るカルトには騙されてはイケナイけど。

 宗教は(まともなものなら)、視野を広くし、生きる意味を与えるすばらしいものだと思う。

 4人姉妹に、キリスト教が与えた影響、理不尽なかんしゃくとか、見栄とか、そういった欠点をなくそうとする努力、貧乏に負けずに明るく楽しく生きる努力をさせているあたりからみてもすばらしい。(よかった、戻ってきた)

 他にも、ディケンズのピクウィック・ペーパーズも、この本を通じて知って読んでみようかなと思った。

★★★

 ところで、この「若草物語」、何度も映画やアニメになっているけれども、虫にとって不可解なのは、「ごっこ」遊びのところが、全て省略されていることである。

 例えば、巡礼あそび。

 地下室から、屋根裏まで枕を背負ってウンウン登り、階段で「重荷」である枕を投げ落とす。これは直接出ては来ないが、父親の留守の1年はこの巡礼ごっこのようなものと父が手紙でいう、この話全体の重要なモチーフである。

 直接関係はないが、「人の一生は重き荷を負いて、長い上り坂を上るようなもの」という徳川家康の遺訓を思い出す。

 それから、演劇クラブ(所属は4人姉妹)。

 ジョーが、脚本・演出をつとめ、クリスマスには定例の公演を行うこれは、この本でも楽しいところの一つである。
 ジョーが、黒い口ひげを書いて、悪漢イアーゴーになりすまし、「ハッハッハ!」と血も凍る(?)ような笑い声をあげるあたり、けっこう映像向きではなかろうか。
 長女のメグは、貴婦人の役を独占し、ピアノのできるベスは演出を盛り上げ、小さいエイミーは、小さいのでさらわれるのに便利(?)ということで重宝されている。

 ピクウィック・ペーパーズにならった、ピクウィック・クラブも楽しい。

 それぞれ、ディケンズのピクウィック・ペーパーズの登場人物を名乗り、新聞を発行して、日常生活のちょっとしたことを機知に飛んだ文章でつづる。


 ピクニックに出かけた先で、他のお友達とした、話の創作を途中でやめて、別の人が続けるゲームも楽しかった。実際はこんなに上手くいかないけど。(白状すると、やってみた)

 家の仕事や勉強を、出先でする働き蜂クラブは、単純でつまらない、勉強や縫い物を環境を変えることで楽しくしようとする工夫である。
 日常生活は(皆さんもご存知の通り)、単純でつまらない作業の連続である。みんなで集まって、外でするだけでも違う。(ちょっと楽しい)これが一番役に立ったかもしれない。なお、働き蜂クラブは巡礼ごっこの一環である。

 
 もちろん、ジョーのかんしゃくで、エミーがスケート場の氷の穴に落ちるとか、ベスの大病とかの方が、出来事としては大きい。

 でも映画やアニメは、こういう楽しいところを省略して、悲しいところだけ強調してるように虫には思えてならない。こういう「ささいなこと」は省略してしまえ!というところなのか?
 
 こういうデフォルメを考えると、モトに近い原作の方が楽しい。

 もちろん、英語で読んだほうが近いけど・・・。