死刑間近・・女性毒殺犯の冤罪調査〜「マダム・タッソーがお待ちかね」を読みました。

             ピーター・ラヴゼイ  真野明裕=訳   ハヤカワ・ミステリ文庫


 現在のイギリスでは死刑は廃止されている。

 この話の舞台は1888年。推理小説の歴史物である。ラヴゼイは、この年代を舞台としたクリッブ部長刑事のシリーズを書いており、これはその一つである。

 さらに、ご存知の方には蛇足と思われるが、マダム・タッソーは、もちろん、マダム・タッソーのろう人形館である。ロンドンにあるこの人形館には、ろうでできた人間そっくりの人形が飾られており、歴代の首相や有名な政治家そして(それより人気があって、料金も高い)殺人犯の人形がかざられているのである。

 マダム・タッソーろう人形館のHPを見ると現在では殺人犯の展示は様々なスターにとって代わられたようである。しかし以前はそういう展示があったと聞いている。教育的配慮ということか・・・ちょっと残念。全くの余談だが、イギリスで一時期最も人気のある名前のベスト10のなかに、Murder:つまり殺人事件 というのがあったそうである。そんな名前付けられた日には・・・どうよ。

 この本では絞首人ジェイムズ・ベリー(死刑を執行する公務員である、たしか実在)の日常生活や、マダム・タッソーのろう人形館で自分のろう人形をつくってもらう場面がそこここで挿入され、死刑執行へのカウントダウンのようにサスペンスを盛り上げている。

 ベリー氏は、自分のろう人形を作ってもらう際、ひとりで殺人犯の人形が展示されている部屋を訪れる。その時、居並ぶ殺人犯人のろう人形の中で、自分の前任者の絞首人の人形が一番恐がられていることに気付く。不可解な。
 この人は仕事をしただけである!他は自分で殺したのに・・・。

 自分もそうなるかも・・・と思いつつも、後世に自分の姿をとどめたいという欲望に負けて、ろう人形をつくらせてしまった。

★★★

 本筋は、ロンドンの写真館での助手の男の毒殺事件。写真の現像には青酸カリがつかわれていたから、道具に不自由しない。犯人とされたのは、写真師の妻、ミリアム・クロウマーである。

 女性の殺人犯はめったにいないから、必ずや執行されたら、ろう人形館に陳列されるであろうことは明らかであった。

 自白もあり、彼女が毒殺犯人で間違いないだろうと思われた・・・。しかし、些細ながら自白と矛盾する点があった。写真家のクロウマーは、青酸カリを、気をつけて頑丈な鍵つきの箱に入れてあり、クロウマーと助手の男しか鍵を持っていなかった。その事件があった日に写真家の会議があったクロウマーは、そこで集合写真をとっており、そこには、鍵が写っている。持っていっていたのだ。

 では彼女はどうやって毒薬を入手したのか。殺人の動機は被害者の脅迫(若き日にクロウマー夫人はスケスケの衣装で写真を撮らせるという過ちを犯したのだ)であるから、被害者から入手したとは考えにくい・・・。

 そこで、警視総監の命令で再調査にあたったのが、クリッブ部長刑事である。

★★★

 ここから先はネタバレなので、未読の方で意外性を大切にしたい方は読まないほうがよい。読みおわったら是非。


 殺人などの犯人を裁く手続きのなかで、一旦無罪の判決が言い渡されたら(確定したら)、その後で有罪の証拠がでてきたとしても有罪にすることはできないという原則がある。一事不再理という。

 なぜこれを知っているかと言えば、実は別の推理小説のなかで使われたのを読んだためである。この原則自体を知らなかった虫は、そのときは、何か「騙され」感を感じた。

 ってことは、そう今回もコレである。わざと矛盾をつくっておいて、証拠の後出し(じゃんけんみたいなものか)をはかり、逆転無罪にもちこもうとしたのである。
 今回は知ってたので、ああ、コレね。という印象である。


 それにしても、最後までわからなかったのが動機である。

 確かにおカタいことの代名詞にすらなったヴィクトリア朝時代、スケスケの衣装の写真は、写真家の(一定の身分のある)妻の地位をあやうくしたのかもしれない。現代でいうところの、ヌード写真みたいなものか。

 しかし、クリッブの調査によれば、それを撮ったのは、変名を使ったその夫である。当然知っているだろう!

 あとは、ひいき客の評判だが、また名前を変えて、別のところで写真館をひらけばいいのに、と虫は思った。