痛みの意義〜「苦しみについて」を読みました。

     「ハーリール・ジブラーンの詩」より  神谷美恵子 角川文庫

 もしも、痛みがなければ、知らない間に右足がなくなっていたなんてこともありうる。痛みがあるからこそ、健康に生きることができ、注意すべき危ないところがわかるのだ。痛みがなければ、いつ死んだかもわからないだろう。 だから、痛みは生きている証(あかし)、神の恵みなのだ。

 これは、精神的な痛み、苦しみについても言える。

 誰にも言ったことはないが、ある出来事のため、長い間苦しんできた。

 世間一般でいうところの、「失恋」に近い気がするが、正確にはそうではない。便宜のため、一応そう呼ぶことにする。

 こういった場合、「時間がたてば、忘れるよ」とか、「また別の人が現れれば」などと世間では言う。もし、人に相談したとしてもそうだったろう。

 もちろん、忘れようとした。「積極的に」生きようとした。頑張った。

 しかし、この心臓を剣で突き刺されるような痛みすら感じる苦しみを忘れることは出来なかった。長い長い時間がたったけれど、その痛みは癒えなかった。この痛みを覚えた最初の日と同じように。

 1人でいることが喜びだった。なぜなら、なんでもないふりをしなくていいし、思いっきり泣けるから。

 人との交際は、痛みを増した。

 今、振り返っても、実に生き地獄とはこのことかと思う。

過去から決別しようとして家や電話番号、仕事を変えた。このトラウマが、人生全般に悪影響を及ぼし、やることなすこと上手くいっていないことに気づいたのだ。それで全てを変えようとした。

 ところが、その新しい職場で、その「失恋」と関連する人(第二の人物とする)と偶然にあった。それに気付いたときのショックは身体に出た。皮膚科の疾患になった。病状としては新しいが、精神的には「再発」だと思う。

 そのショックは、また、別なことを気付かせてくれた。その第二の人物のことを全く覚えていなかった。「失恋」するまでは、それなりに関わりがあった友人だったのだが。その人に関する事だけ、きれいに忘れていたのだ。「失恋」事件についての自分の記憶に疑念を持ち始めたのはこのときからである。
 
「○○さんて誰?」と○○さんについての噂をした友人に聞いたことを思い出したのである。目立つ存在で、昔はよく噂をしたその人を、忘れるなんて思わなかっただろう。その友人と同じくらいの長さの付き合いだったのに。しかし、そう聞いたときは本気だった。その人についてだけ、すっぽり忘れてしまっていた。

 第二の人物から離れるため、仕事を辞めた。皮膚科の疾患は治った。

 この時点では、「失恋」の相手は虫の思っていた人物ではなく、この第二の人物かと思われた。本当の失恋相手を忘れるために、「失恋」をでっち上げたのではないか。


 さらにところが。


 第三の人物が現れた。この人も「失恋」時代の知り合いだが、すっぽり忘れていた。記憶が抜け落ちていた。

 実は、「忘れる」ことには成功していたのだ。

 実際の恋は別人に対してだったが、その記憶を喪失し(おそらく自分自身で無意識に消去)、「失恋」のニセの記憶とニセのショックでおおいかくしたのである。他ならぬ自分自身が。

 クリスティの小説を全て読み、「意外な犯人などいない!」と豪語する虫も、さすがに驚いた。自分かよ!

 自分の精神世界ほど、驚くべきところはない。

 しかし、「失恋」事件はリマインダーの役目を果たしていた。真実を忘れたからこそ、この「失恋」は忘れられなかったのである。

 実際に起きたのは、たかだか1〜2年位の出来事だった。

 しかし、虫がその真実を悟るまで、長い年月を要し、犯人(自分)を突き止めた。まさか、記憶喪失になっていたとはね。

 宇宙には、様々な物質を虚無に吸い込むブラックホールというモノがあるという。この「失恋」事件は長いあいだ苦しみをもたらして、生活の精力や喜びを吸い取っていったブラックホールのようなものであった。
 ブラックホールに吸い込まれていくと、別の時空の恒星(太陽のような星)に出るという説がある。(マイケル・クライトンの「スフィア」はブラックホールに吸い込まれた宇宙船が地球の深海に出てきたという話である)
 それは、確認のしようがない。しかし、虫の「失恋事件」というブラックホールは、真実の恋という太陽に導いてくれた。
 
 苦しみはこれを教えてくれていたのだ。自分の中には偽りがある。真実であること、自分自身に対して誠実であること以上に大切なことはないと。

 今はまだ、治癒の過程であるから、やはり、苦しみが伴う。しかし、「失恋」で自分を誤魔化すほどの苦しみではない。あの苦しみに比べればなんてことはない。

 だから、今、苦しんでいる人がいたら、黙って横についていたい。その苦しみは何かのしるしなのだ。慰めたり、あてずっぽうを言うのはやめよう。ただ、その苦しみを通してこそ、得られる喜びがあることだけは伝えたい。

この詩はそういった事を教えてくれる。

★★★

  苦しみについて
  (1部省略)

 あなたの苦しみは、あなたの心の中の
 英知を閉じ込めている外皮(から)をやぶるもの。
 果物の核(たね)が割れると中身が陽をあびるように
 あなたも苦しみを知らなくてはならない。
 あなたの生命(いのち)に日々起こる奇跡
 その奇跡に驚きの心を抱きつづけられるならば
 あなたの苦しみはよろこびと同じく
 おどろくべきものに見えてくるだろう。
 そしてあなたの心のいろいろな季節をそのまま
 受け入れられるだろう。ちょうど野の上に
 過ぎ行く各季節を受け入れてきたように。
 あなたの悲しみの冬の日々をも
 静かなこころで眺められるだろう。

 
 あなたの苦しみの多くは自ら選んだもの。
 あなたの内なる医師が
 病める自己を癒やそうとして飲ませる苦い薬。
 だから医師を信頼して
 黙ってしずかに薬をのみなさい。
 医師の手がたとえ重く容赦なくとも
 それは目に見えぬもののやさしい手に導かれている。
 彼の与える杯がたとえあなたの唇を焼こうとも
 それは大いなる焼き物師が
 自らの聖なる涙でしめらせた
 その粘土でつくられたものなのだ。