スパイのコロンボ、チャーリー・マフィンシリーズの「城壁に手をかけた男」(上・下)を読みました。

         フリーマントル   戸田裕之訳     新潮文庫

 いつも足に痛みを感じ(靴が合わなくて)、着たまま寝たようなスーツのさえない中年、チャーリーは、実は凄腕の英国情報部員である。

 今回は、ダラスで起きたJFKの暗殺事件の現代版みたいな感じである。もっとも、殺されたのはロシアの大統領で、アメリカの大統領がロシア訪問中、アメリカの大統領夫人にも弾丸が当たって、手が動かせなくなってしまう。

 直接撃ったと思われたベンドールがイギリス人だったため、イギリス情報部にもお声がかかる。このベンドールがオズワルドの役で、やはり殺されてしまう。殺したダヴィドフをルビーに例えるなら、こちらも、民兵にころされてしまう。

 ベンドールが実は目くらましで、彼をあやつっていたのは、旧KGB共産党政権復活をもくろむ一派であった。実際に狙撃したのは、別の者。TVなどの録音で銃声の数、弾の位置などから、ベンドールではなく、別の狙撃者がいたことをわりだしたチャーリー、さすがである。

 チャーリー以外のイギリス情報部や、アメリカのFBIやCIA、ロシアの民警や連邦保安局のたくさんの登場人物は互いに責任をおっかぶせて、保身をはかろうと互いに鬼ごっこをしているようにしか見えない。

 それにしても、「消されかけた男」以来、チャーリーとは長い付き合いである。「消されかけた男」のころはベルリンの壁があり、冒頭、そこをつっきろうとして殺される壮絶なシーン(もちろんチャーリーではないが、チャーリーを名乗る男が)が思い出深い。

 あれから、ベルリンの壁もなくなり、ソ連もなくなった。スパイ小説に必要と思われた冷戦もない。

 それでもしぶとく生き残る男、チャーリー・マフィンは、小説も生き残った。思うにこのシリーズは、007シリーズのような派手な立ち回りはなく、主として謀略があるだけだからかもしれない。

 しかも、「敵」はどっちかといえば、身内である。会社などの組織では日常的に行われていると思われるが・・・。

 フリーマントルは、イギリスにおいてより、日本で人気があるのは、会社の社内抗争に日々励んでいるサラリーマンのおかげに違いない。

 消されかけた男で対峙した、元KGBのカレーリンも元気そうである。

 チャーリーは現在、モスクワで、ナターリヤと娘、サーシャと暮らしている。あまりうまくいっていないが、家庭というより、内務省勤務のナターリヤに組織で生きのこる処世術を教える学校になってしまったためだろう。それに娘に同じ人形を何体も買ってくるなんて・・・仕事ばかりでなく、家庭のことも学ぶべきでは?