グリーンゲイブルズへ帰る〜「赤毛のアン」を再読しました。

モンゴメリ 中村佐喜子訳 角川書店


同じ本でも、読んだ時期等により与える感動が違う。
以前は読み飛ばしていた部分が、経験を通してぐっとくるようになるのだ。
実を言うと、虫もアンのように、想像力豊かな子だった。
アンと同じく、お話をぶつぶつとつぶやいいて不気味がられたものだ。
アンはそれぞれ小説を書くクラブを作ったが、虫は交換ノート形式で、「この続きから書いてね」と友達に無理矢理強制した。(あれは悪かった…ゴメン。)
それでも久しぶりに読むと、アンのみずみずしい感性に感動する。
初めてマシューと一緒にグリーンゲイブルズにドライブする道のりなど忘れがたい。
もちろん、カナダのプリンスエドワード島はきれいなところであるし、写真で見た事もある。(ここの観光局のHPを見るといい)
しかし同じ風景を見ても、アンほど感動できるかは疑問である。この本の他の登場人物のセリフを読めば明らかだろう。
日本にも美しい風景はたくさんある。
紅葉はそろそろ終わりだが、冬の日の晴れた空というのは格別である。
四季それぞれに美しいとされているもの以外にも、美しいものはたくさんある。そういえば、普通は雑草とされている草(名前は知らないが、麦みたいなやつ)が一本花瓶にいけてあり、そのすらっとした美しさに感動した事があった。
こういう事には鈍感になってはいけない…と自戒した次第である。
今まで、何回も読んだが、性格が似ていることもあり、アンの立場でしか読んでいなかった。
しかし…、トシのせいだろうか、今回は、少しマリラの気持ちがわかった気がする。
少女だったアンが、大人になってしまう悲しみ…子離れに悩むお母さんの気持ちだろう。しかたないとはいえ寂しいものである。
さらに、今までもぐっと来ていたが、涙が止まらなくなってしまったのが、マシューの死である。
去年亡くなった父は、マシューのように恥ずかしがりやで無口だったが、マシューのように子供を甘やかしていた。
今思うと虫のうちは年をとってからの子供だったので、このカスバート兄弟と同じく、実際にどうしたらいいかわからない部分があったに違いない。
母はマリラと同じく厳格だった。
マシューは、死ぬ直前に「1ダースの男の子より、アンをもらってよかった。」と言って笑顔を向けてくれた。
父は、マシューのように心臓麻痺ですぐにいく事は出来ず、最後はガンで苦しみ、話す事もできなかった。
しかし、好きな人の写真を見せて、この人と結婚するから安心してと報告すると、昔よくやっていたように、片ひじをついて頭を支えて、ニッコリ笑いかけてくれた。
その笑顔が忘れられない。