ウォルター・モズリィの「ブルードレスの女」、読みました!

                     坂本憲一訳     ハヤカワ・ミステリ

 イージー・ローリンズ・シリーズの記念すべき第1作目。

 最初だからということもあり、最も好きな作品である。

 ところで、このシリーズは、1948年が舞台である。あえて黒人を主人公にして、人種差別の激しかった(と思われる)この時代に舞台を設定したことに、何となく、モズリィ氏の意図を感じる。モズリィ氏本人は、黒人(といってもハーフ)だが、特に差別を感じたことはないと言っていたそうである、後書きによれば。

 イージー自身、権力ある白人に不意をつかれると頭の中が真っ白になると言っているし、オールブライト(白人)が、イージーに「ブルードレスの女」のダフネの捜索を依頼したのは、彼女が黒人好きで、黒人の多くいる場所(酒場とか)にいるのに、白人の男は身の危険なしに、そういった所に出入できなかったからである。

 黒人と白人は別々であり、差別もあったが、イージーは、第二次大戦で従軍した経験から、白人も「同じ人間」であることを知っており、オールブライトの人となりも正確に判断する。すなわち、旧友「マウス」と同じく悪党だということである。

 この時代の黒人でいるのは、悪いことばかりではない。オールド・ジャズが生まれた時代、ビリー・ホリディを生で聞くことができるのである!

 イージーは特に探偵になりたかったわけではなく、ただ、飛行機工場の優秀な職工だったのだが、リストラされてしまったのである。イージーは、なんと、給料を貯めて、自分の家を買っていた(この堅実さは他のハードボイルドと違うところである)。そこで、ローンの支払いのためにお金が必要だったのである。オールブライトが悪党であることが分かりつつも、お金を受け取って、ダフネの捜索にあたるのはそのためである。

 イージーが女性にモテモテなところも、他のハードボイルド小説とは違うところである。ちょっと前に登場した、友人と同居している女性と2,3ページ後にはできてるし、ダフネとも・・・。いや〜、モテますな。

 この小説、じつは、映画化されている。イージーを演じたのはデンゼル・ワシントンである。虫はこの原作は大好きだし、デンゼル・ワシントンも好きな俳優の1人である。しかし、この人選はいかがかと思う。デンゼル・ワシントンは、マルコムXの影響もあってか、あまりにも「真面目」なイメージなので、女好きのイージーのキャラクターにあっていないと思う。彼が「黒人だから」という理由で選ばれたとすれば残念しごくである。実際映画でも、ベッドシーンはかなり省略されていた。他にも、イージーの友人の特筆すべき黒人キャラクターが大幅に削除されていて、いつもながら、小説の方がはるかに面白い。まだ、ウィル・スミスのほうが、イージーっぽいかな?

 イージーの友人、レイモンド・アレグザンダー(別名マウス)は、実に忘れがたいキャラといえる。これからもこのシリーズで再会することになるが・・・。良心の呵責というものが全く抜け落ちた悪党である。もちろん、イージーは殺人を容認しているわけではなく、マウスが軽々しく殺しをするのを嫌がる。しかし、イージーが殺人を止めるように言うと(自分にはない)イージーの良心に考慮して止めてくれるし、さらに薄汚い悪党から自分の身をまもったり、その薄汚い悪党が殺しをしようとするのを防ぐために殺したりするのに便利ではある。友人をやめると殺されそうだし・・・。
 
 イージーは、ダフネを悪党に誘拐された時や、第二次大戦で敵兵を殺さざるを得なくなった時に、そういったせっぱつまった八方ふさがりの時に、声が聞こえてくる。その声はイージーにやるべきことを指示してくれる。
 そういった、よくわからないがこの世を創りかつ普遍的に存在している、宗教的にいえば神様?のようなものにより、人は誰でも、こういった声というか方向指示器のようなものが備わっているのだと思う。それは正しい方向や行うべきことを示してくれる。だから、イージーは、その声の指示には必ず従う。

 個人的なことだが、虫にも、虫の知らせ・・と俗にいうが、あることをすべきだと感じることがある。最近だと、「旅行」とか「会社をやめる」とかけっこう大変なことで、やる前は、「どうしようかな」とか、「理屈で考えたらやめるべき?」などと迷っているので、やることはやるんだけどあまり計画的ではない。でもやる。ところがやってみると、それは昔夢で見たシーンが実現してしまうのである。だから、やる運命だったし、やらざるを得なかった・・と思う。聖書風に言えば、「それは成就した」んである。この指示器はどこに連れてってくれるんだろうか?