マイクル・クライトンの「恐怖の存在」上・下を読みました。

                      酒井昭伸訳 ハヤカワ文庫

 今回は、地球の温暖化問題である。

いや、もとい地球温暖化問題の問題である。

 ここで質問。地球は温暖化している(温かくなってる)と思いますか?

 虫は、正直、今や「はい」っていうのは常識だろう、と思っていた。だから、京都でなんか会議やって、京都議定書ってのを作ったし、CO2の排気量だかなんだかを国際的に取引するらしいし、ディカプリオがプリウスを買ったりしてるのではないか。(この最後のヤツは説得的である)

 ところで、温暖化問題に関心のある方なら、バヌアツのこともご存知であろう。海抜1メートルの島国バヌアツは、地球温暖化に伴い、南極の氷が解けたことによって、海に沈んでいくといわれているのである。

 今回の設定は、このバヌアツが、環境保護団体の資金援助を受けて、CO2を最も出してそうな国・・・アメリカ合衆国を訴えるという設定である。主人公はバヌアツ側の代理人弁護士エヴァンズである。

 ちなみにバヌアツ人は全く出てこない。(日本人とネパール人は出てくるが)

 弁護士が主人公であるが、ぶっちゃけ、クライトン氏は(おそらくほとんどのアメリカ人と同じく)、弁護士が嫌いらしく、弁護士がいかに嫌われているかというジョークの他は法律問題については浅い記述しかない。そういや。ERに出てくる弁護士も、すぐに医療過誤訴訟をふりまわす、イヤなヤツばかりであった。

 その代わり、環境問題については、実に詳しい。

 エヴァンズは、まず、自分の訴訟団の証拠あつめチームに「地球が温暖化している」ことを納得させられる。

 ところが、その後、そのバヌアツ側に資金援助した金持ちが死に、環境保護のためなら殺人も辞さない(人間のための環境では・・?)環境テロリストなる連中との対決がこの話のメインであることがわかる。

 そして、その連中と対決してきた、ケリーという人物に、「地球が温暖化していない」ことを納得させられるのである。

 先ほどの説得より、こっちの説得の方が、資料もたくさんあり、非常に説得的である。虫も読んでいてつい納得してしまった。もちろん、資料自体に直接あたるような面倒なことはしていないが・・・。

 確かに考えてみると、地球の気候というのは、まだまだ未解明である。「温暖化している」つまりあたたかくなっていると主張するのであれば、証拠が必要であろう。地球全体が温かくなっているのであるから、地球全体が全てあたたかくなっているものでなければならない。

 この本にでてくる資料(すべてネットなどで確認可能)を見るかぎり、そのような証拠はみられない。

 都市部の周辺のヒートアイランド現象は地球全体の温暖化と区別すべきであるし、南極の氷河も溶けているものもあるがそうでないものもある。(すべてが溶けているというわけではないらしい。それに昔から溶けていた)

 まぁ、地球が温暖化しているかどうかは、自分自身で判断するべきであるが、問題は、ことに環境問題となると、なぜか思考停止状態になり、「環境によさそう」なこと(何かの消費である、エコバッグ=買い物袋とか)をさせられてしまうという点だろう。ディカプリオがプリウスを買ったこと(とCM)もそうである。

 この点、本書その問題点を上手く述べている。

 ある行為が、「環境にいい」かどうかを判断するのは難しい。「環境によさそう」な行為が必ずしも環境にいいとは限らないのだ。その判断は個々の個別具体的な行為について環境にたいするメリットがデメリット(必ずある)を上回る場合にはそういえるかもしれない。しかもその判断は長期的な視点でおこなうべきである。

 例をあげる。

 「木を植える」ことなんて、「そりゃー環境にやさしいに決まってるでしょ!」と思われよう。

 しかし、その地の生態系にない外来の木を植樹すると、他の木に対して壊滅的な打撃になることもある。これは環境に悪いといえよう。

 さらに、植えた木の手入れが必要なことは、おそらく、庭師なら誰でも知っていることである。ペットを飼ったり、植物を育てたことのある人ならわかるはずである。それなのに、植えた木をほっぽっといて枯らしてしまっては、無意味だろう。

 自然を知り、確かな科学的知識を持つことが、「環境」に優しくなる第一歩であろうと考える。

 それにしても、環境保護団体、NERFの環境破壊ぶりには、度肝を抜かれる。南極からミサイルを撃って氷山を分離させようとするし、(その過程で主人公を南極のクレパスにつきおとすというセコイこともする)雷をあやつって主人公達を追い詰めたり、海底に爆発物を仕掛けて人工的に津波を起こそうとしたり・・・すごいねぇ。

 まるで、「おおかみが来た!」と叫んでから、こっそり狼のマネをする狼少年である。 

 ここまで極端なことをするエコ・テロリストはいない(と思う)が、環境保護を叫びながら、企業などを恐喝する環境ゴロはいそうである。

 いまでは、どちらの企業さんも「環境に優しい」と思われたいようであるし。

 M・クライトンは、こういった「環境問題」は政治家・法律家・マスコミの仕組んだ社会統制ではないかと老教授の口を借りて示唆している。

 つまり、冷戦の時の旧ソ連という「恐怖」が去ったため、別の恐怖をこれらがデッチあげたのではという問題提起である。

 他にも全くのガセとわかった、Y2Kとか、それっぽい。また、9.11も、実は、ワールド・トレードセンターを壊したかったオーナーなど、アメリカの一部の人が糸をひいているという考えも聞いた事がある。

 「恐怖の存在」という訳名だが、英語では、“STATE OF FEAR”つまり恐怖の国だ。

 アメリカをはじめ、先進諸国は、一部の人に恣意的に作り出された恐怖によってあやつられている国に住んでいるということである。

 ここにおいての自由は、恐怖にあやつられないで、自分の頭で考え、マスコミや権威に盲目的に従わないことによって初めて実現する。

 もっとも、いつの時代もそうであった気がしないでもない。