読書の秋ですね!「マーチン街日記」を読み直しました。

                       犬養道子著     中公文庫

 犬養道子のエッセイは、短いながら含蓄があり、アメリカやヨーロッパの本質をついている。それは、日本人で、カソリックだからということもあるが、やはり、読書量と質が断然高く、深い教養に満ちているからといえよう。
 マサチューセッツ州ハーヴァード大学で、秋から(アメリカの大学は秋から)勉強を再開する著者の読んだ本のリストを見ると、全くハンパでない、真の教養を身につけた方だと思う。
 読書リストは以下の通り、マコーレー「英国史」、アダムス「ザ・ファウンディング・オヴ・ニューイングランド」、オリヴァー・W・ホームズ「慣習法」、ロスコー・パウンド「コモン・ローの精神」、ギルケ「中世の政治思想」(ラテン語)、ビーアド“American Spirit”、トラヴェリアン「十七世紀の英国」G・P・グーチ「十七世紀の政治思想」「ベイコンからハリファックスへ」等。
 ここで、アメリカにおける「自由」を研究する。すぐに「欧米では」といいたがる他の評論家と異なるのは、犬養道子は、アメリカというものをまだまだ「知らない」ということを知っている点であろう。1国の歴史、風俗等は、少し聞きかじっただけでは、ほんの一部分しかわからない。そして、何をわからないか知ることこそ勉強なのである。 

(日本の“家”において人間の発言の権利と自由が薄かった理由について)では、なぜ薄かったのか_____キリスト教の教えの中に見られる個の強調が、個の価値の強調がなかったからではないか。日本の精神文化の中に希薄だったからではないか。生ける人格としての神の前に生ける一個の人格として、一人一人が「立つ」という「信仰」がついには日本にはなかったからではないか。

 個の尊重ほ、近代思想の原点であるが、キリスト教と結びつけて考えたことはなかった。虫としては、キリスト教とは別個に考えたいが、もちろん、影響は否定できないと思う。氏の考えに、完全に同意するわけではないが、非常に示唆に富む。
 学問ばかりでない。ニューイングランドの厳しい冬は、アメリカ大陸に来たばかりの「アメリカ人」の考え方コミュニティの生成に非常な影響を与えたことを思いながら、長い冬を耐え忍ぶ。さらにイヤなことに、このとき、ヴェトナム戦争がはじまる。(1965年)ヴェトナムをめぐって、学内でくりひろげられる議論は興味深い。
 なお、マサチューセッツ州の税金は高いが、水道代込み(!)である。