「シャーロック・ホームズの生還」から短編2編を読みました。これにて読了。

【アベイ荘園】
 植民地オーストラリアの自由闊達なお嬢さんと大英帝国の横暴なDVオヤジという組み合わせの結婚が悲劇を呼ぶ。
 >>「それでは、どうして自分で書かないのだね。」
  「ワトソン君、今にきっと書くよ。目下のところは、君も知っての通り、かなりの忙しさだが、僕の晩年は探偵の技術に関するいっさいを一巻に集結したような教科書を書くことにささげられよう。」<<
  『叙述においてあきたらぬ』などとけなされたワトソンがむっとして反論する。これからもわかるように、ワトソンは、決してホームズにいいなりの愚かな人物ではない。ホームズの頭の良さ、それに加えて人をバカにしたような態度をとるので、そのような印象をもってしまうのだ。賞賛すべきところを素直に賞賛しているだけである。
  『忙しい』なんて言い訳だと思う。その証拠にそんな教科書は世に出ていないではないか!

【第二の血痕】
 スパイ物っぽい、ワクワク、ドキドキ感がある。『高級な』国際政治の世界もよくわからないながら、なんとなく嬉しい。
 この作品で、ホームズの女性観がわかる部分があり、ちょっと長くなるが引用したい。アベイ荘園や、スリー・クォーター失踪事件の結末からもわかる通り、古めかしい騎士道精神をもっている反面、このようにも感じているようだ。
 >>「それにしても、女の動機は、実に測りがたいものだ。同じ理由で(虫注:表情を読まれないように、背中に光線を受けるように座った)僕が疑いを抱いた、マーゲイトの女のことを覚えているだろう。鼻の頭にお白粉一つつけていなかったこと―それが正確な解決の糸口になったのだった。そのような流砂の上にどうして家を建てることができるのか。」<<
 要は気まぐれってことらしい。ドイルも、ホームズも「紳士」なので、女性の区分けは、「階級」でかなりパターン化されていて、相手の身分が低いと、恋愛感情を利用するような卑劣なこともけっこうやっている。政治家の奥様のような「淑女」の醜聞はしっかり守るのに。この階級差別は、今読むとヒドく感じる。
 スパイ物ではじまり、メロドラマで終わる。考えてみると、ホームズ物って、始まりがなんであれ、メロドラマで終わってるのが多い気がする。