どういうことかわかるということ。〜「ものごとをつきとめる喜び」を読みました。
「ファインマンさんベストエッセイ」より
リチャード・P・ファインマン 大貫昌子・江沢洋(訳) 岩波書店
「私は誰よりもあの男を愛し、偶像視せんばかりに崇拝していた」とはベン・ジョンソンが、シェイクスピアに関して言った言葉である。
この本を編集したフリーマン・ダイソンが、リチャード・ファインマンについて同じように感じているとして引用した。
なにぃ?
言っておくが、虫だって負けちゃ〜いない。
はじめて「ご冗談でしょう、ファインマンさん」を読んだあの時から、リチャード・ファインマンの大、大、大ファンなのだ。
こんなアメリカ人数学者に負けてたまるか。数学じゃ負けるけど、リチャード・ファインマンのファンである点については、ぜってーゆずらねー!!
と、ファンの取り合いをしているこの人物はアイドルでもなんでもない。物理学者である。
しかも、マンハッタン計画に参加し、広島・長崎に落とした原爆をつくる手伝いもした。ま、それは仕方ない。責めを負うべきは投下の決定をした奴らなのだから。
大学教授である。(コーネル大学、カリフォルニア工科大学)
量子電磁力学の発展に寄与した。
こんなに偉い学者さんなのに、ちっとも偉ぶったところがない。
タイコをたたかせればめちゃくちゃ上手い。玄人はだしである。実際、ブラジルに行ったときにリオのカーニバルに参加したし、前衛バレエにドラマーとして参加した。この時はお金をとったのであるから、プロと言ってもいいだろう。
絵をはじめたときは、自分の作品を何点か売っている。個展さえ開いた。
と、何にでも好奇心旺盛である。専門の物理学以外にも、生物学のゼミに参加して、なにやら培養していたし、化学者として、メッキ会社にいたこともある。もっともその会社は他に彼の友人とビーカー洗いの人だけだったが・・・。(ロスアラモス、つまりマンハッタン計画のときに、イギリス人化学者が、メッキの方法が上手くいかず、広告を見て○○のような大きい会社には勝てないと言った。ファインマンは自ら○○の化学部主任であることを明かしたものである。そのイギリス人の会社は、もっとたくさんの人数がいた)
しかし、何といっても、物理学が好きだから物理学者なのである。
虫の大好きなファインマンさんのエッセイ集なので、しばらく、この中の短編を紹介したい。
まずは、「ものごとをつきとめる喜び」である。
★
ここに花があるとする。
画家(文系の人)は「きれいだな」と思う。
「でも、君たち科学者は、花の構造とか分析するから、きれいだなんて思わないだろう」というのが、ファインマンの友人の言い草である。
もちろんそんなことはない。
きれいだと思うし、花の構造や、種類、花びらに色がついたり、光合成の仕組みなどを知っているがゆえにさらにその感動が深まるのだ。
その通り。
科学の知識は、感動を深めこそすれ、これをそぐなんてことはない。
★★
この中にはファインマンさんのお父さんの話がのっている。
制服のセールスを生業にしていたが、ファインマンさんのお父さんは、何と言っても、父親業で大成功をおさめている。なにしろ、息子にノーベル賞をとらせたのだ!!教育熱心で知られるユダヤ系だが、これはまた破格の成功である!
ところで、「知る」とはどういうことだろうか。話が飛ぶように思われるだろうが、じつは、関連するので、我慢していただきたい。
向こうにすずめがとんできた。「あれなに?」と子供が聞くとする。
さあ、お父さん(お母さん)として答えていただきたい。
・・・・・
(本当に考えた?)
・・・・・
「ああ、あれはすずめだよ。かわいいね。」
これがだいたいの答えであろう。中にはスズメの学術名まで答えた人もいるかもしれない。
しかし!それでは親の優等生にはとうていなれそうもない。万が一子供が物理学者になったとしても、ノーベル賞は無理であろう。わっはっは。
ファインマンさんのお父さんの答えはこうである。
「あれは、すずめというんだよ。もっともポルトガル語では・・・、イタリア語では・・・、中国語では・・・、日本語では・・・。」と続く。それから、
「さあ、これでいろんな国の言葉であの鳥の名前をなんというかわかったわけだが、いくら名前を並べてみたって、あの鳥についてはまだなにひとつわかったわけじゃない。ただいろいろ違った国の人間が、それぞれあの鳥をどう呼んでいるのかがわかっただけの話だ。さあ、それより、あの鳥が今なにをやっているのか、よく見るとしようか。」
(茶首ツグミについてのエピソードを少し変えた)
この違い・・・お分かり?
こうやって、あの手この手で、本当に物事を知る(理解する)とはどういうことかを教えてくれたのである。
例えば、百科事典で大恐竜について読むとする。「この動物は身長25フィート、頭の幅は6フィートもある」というくだりを読むと、本をおいて、こういうのだ。
「ということはどういうことなのか、ひとつ考えてみよう。」
「つまり、25フィートってことは、こいつがうちの庭に立ってるとするとこの二階の窓に頭がつっこめるぐらい背が高いということだよ。だけどこいつは頭の幅が広すぎるから、ほんとに頭を突っ込もうとしたらガラスが割れるだろうな。」
★★★
ファインマンさんは後に、名門大学の大学生であっても、たいていの人は「名前」だけ知ったら知った気になってしまい、本当に理解していないことに気付く。
これは院生レベルでもそうだ。
そして、日本ではもっとそうだ。
なぜなら、日本は明治のはじめ、遅れていたので、外国の学問をどんどん輸入した。
だから、日本の学問で使われる専門用語、それなくしては、学問上、正確な表現ができない専門用語のほとんどが、下手な翻訳である。原語(英語やドイツ語)では、その意味がまだ残っていても、翻訳ではわけがわからないと思っても学生のせいではない。
日本の学生たち、ひどい場合は教授も、その言葉が、本当はどういう意味なのかをわからずに、学士や修士や博士号をとれるのだ。
南アメリカに来たファインマンさん(たしかブラジルだと思う)が、学生に質問した。
専門用語を使った質問には完璧に答えた学生たちだが、窓ガラスをつかってどうなるかきいたところ、答えられなかった。
まさに、その「屈折」という言葉の意味・・・「曲がる」ってことをさきほど完璧に言ったばかりだったのに。
英語とポルトガル語(ブラジルだとすれば)以上に英語と日本語は違う。
もっとあてはまると思いません?
これって本当はどういうこと?と常に問いかける重要性は、いくら強調しても、しすぎることはない。想像力を使って考えること。これこそ、ファインマンさんが生涯楽しんだことであり、ここから、ノーベル賞の花が咲いたのだ。